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今宮神社 東門から本殿へ

2015.10.31

今宮神社 東門から本殿へ はコメントを受け付けていません。

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

大徳寺の境内を西に行くと、道標があって左に「孤蓬庵」、右に「今宮参道右へ」と書いてあります。右の道をしばらく行くと、

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今宮神社の東参道に着きます。この地には平安建都以前から疫神(えきしん)を祀る社があったといわれています。(参道の両側に「あぶり餅」の二つの茶店がありますが後で訪れることにして、境内に入ります。)

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遷都によって平安京が栄える一方で、人々はうち続く疫病や災厄に悩まされ、これを鎮めるため神泉苑、御霊社、祗園社など各地で盛んに御霊会(ごりょうえ)が営まれました。東門

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御霊会とは、上のような災難はすべて、不慮の死を遂げた者の怨霊(御霊)の所業と考え、それらを鎮める儀式のことです。今宮社の紫野御霊会もその一つでした。神橋

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すなわち、一条天皇の時代の正暦5年(994)6月に、当社地の疫神を二基の神輿に乗せて船岡山に安置して、それらを慰め奉って悪疫退散を祈りました。これが紫野御霊会であり今宮祭の起源です。神馬舎

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東門のそばにある「宗像社」 素盞鳴尊の十握剣(とつかのつるぎ)から生まれた宗像三女神を祀っています。 元来は海上交通の守り神でしたが、今では交通安全の神とされています。
 
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祠の台石の側面に鯰の彫り物があります。宗像社の祭神は俗に「弁天さん」と呼ばれ、鯰はその使いとして彫られたとされています。

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紫野御霊会の際には、都中の老若男女はこぞって神輿の供をして船岡山に登り、綾傘に風流を施し囃子に合わせて唱い踊り、病魔のよれる人形を難波江に流したといわれます。これが夜須礼(やすらい祭)の起源です。

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長保3年(1001)ご霊夢によって疫神は船岡山から再び現在の当社地に遷され、新たに設けられた神殿三宇ともども今宮社と名づけられました。これが今宮神社の起源です。(東門から上で紹介したあたりは、元禄時代の遺構でもあります。上の手水鉢もその時代に寄進されたものです。)

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創設以来、民衆の信仰を集める一方で、室町時代には将軍家の若宮(生まれた皇子)の守護神となり足利将軍の加護を受けました。その後、豊臣秀吉によって御旅所が再興されました。神輿庫

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江戸時代には、徳川綱吉の生母・桂昌院は、出身地・西陣への愛郷の念とともに今宮神社を崇高して、荒廃していた社殿の造営などをおこないました。力石

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また、やすらい祭の復活にも尽力し、かっての盛況を取り戻したそうです。桂昌院のレリーフが境内の中央にあります。

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「拝殿」 向こうの本殿ともに明治時代(1896年)に焼失して、1902年に再建されました。

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本殿には三つの御座かあり、中御座は大己貴命(おおなむちのみこと)、東御座は事代主命(ことしろぬしのみこと)、西御座は奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)が鎮座しています。

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奇稲田姫命は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の八岐大蛇(やまたのおろち)退治の際にいけにえの8人の娘の中で最後に残った娘です。素戔嗚尊は、娘の姿を櫛に変え頭に挿して。八岐大蛇を退治したとされます。

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その後、素戔嗚尊は(元の姿に戻った)奇稲田姫命を妻にして、(日本書紀では)生まれた子が大国主神とされます。大己貴命は大国主神の幼名で、国造り、農業、商業、医療、縁結びの神などとして信仰されています。これは中御座

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事代主命は、大国主神の子で、託宣神のほか、海の神、五穀豊穣商売繁盛の神とされています。

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今宮神社の始まりとされた疫神は、本殿横の摂社「疫社」に祀られています。疫社の祭神は素戔嗚尊だそうで、疫神は素戔嗚尊だと考えられたのです。

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結局、今宮神社は素戔嗚尊と奇稲田姫命、その間に生まれた子と孫を祭神として祀っていることになります。

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社務所とお守り授与所

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