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対馬への旅(4) 島分かつ海―浅茅湾

2015.10.25

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旅行日:平成27年10月5~8日・中④
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 対馬は日本有数の大きな島である。面積は696.5平方メートルは択捉島,国後島,沖縄本島,佐渡島,奄美大島に次ぐ(本土の4島は除く)。
 しかし,地図で見ると中央部分に湾が入り込み,そこが極端にくびれ,辛くも繋がっているのが分かる。正確に言うと,かつては繋がっていたが,近世以降二つの切れ目を入れられ,橋によって繋がった状態になっている。
 島を分かつ湾の名は浅茅湾(あそうわん)。今回はその辺りに焦点を当ててみよう。


 11時過ぎ,ようやく厳原からクルマで北上を開始する。きょうの宿泊地,比田勝は遥か先,ピッチを上げねばならないだろう。
 北へ延びる国道382号は対馬唯一の国道にして,島の主要幹線であるので,よく整備されている。特に旧美津島町の中心地雞知(けち)までの区間はトンネルを連ねた新道で,リアス式海岸をものともしない。その反面,海はあまり見えない。

 雞知の先で対馬やまねこ空港の滑走路の下をトンネルでくぐり抜ける。
 陸がきわまってきて,左右の海が近づくと,短い橋を渡る。大船越瀬戸である。
 大船越瀬戸は対馬藩主宗義真の命により,寛文12年(1672)に開削された。当初は干潮時に歩いて渡れたそうだが,現在はだいぶ拡幅されている。

 さらに4キロほど走ると,今度は赤いアーチ橋の万関橋が架かる。この橋の下にも人工の水路が通っている。
 観光名所の一つとして駐車場が用意されているので,クルマを置いて橋の上に立つ。
 東側は三浦湾から玄界灘に通じる。
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 万関橋の下の水路は万関瀬戸,あるいは久須保水道と呼ばれている。
 この水路は日露間の緊張が高まっていた明治33年(1900)に海軍が開削した。明治19年には西側の浅茅湾に面した竹敷に水雷施設部が設けられ,29年にはさらに海軍要港部が置かれ,来たる戦争に備えていたのである。
 万関瀬戸の開削により,対馬東西の海域にスムーズに艦艇を配備できるようになった。
 なお,日露戦争の日本海海戦時,浅茅湾の内湾である尾崎湾に第三艦隊が配置されていた。巡洋艦「厳島」を旗艦とした第三艦隊はロシア艦隊発見の報を受けて,対馬東水道に急行したが,この時点では五島附近の海域にあったため,島の西側を出撃した。しかし,この日は波浪が著しく,小型の駆逐艦は水雷艇は三浦湾に引き返さざるを得なかった。これらの艦艇の兵たちの悔しさは察するにあまりあるが,夜になって再度出撃し,夜戦で相応の戦果を挙げた。
 きょうは干満の差が小さく,水路は穏やかだ。渦潮が見られる日もあるという。
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 橋を渡った先で左に折れる細道を辿り,メボシマ山の展望台に上る。標高は70メートルにすぎないが,浅茅湾の眺望がすこぶる良い。
 たおやかな形をした濃緑の山地が,エメラルドグリーンの海に沈み,リアス式海岸を形成している。
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 丸みを帯びた女性的な手前の山地とは対照的に,背後の高い山々は突兀とした男性的な山容をしている。
 最高峰は標高519メートルの白嶽で,山岳信仰の山である。
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 南に架かる赤い橋が先ほど渡ってきた万関橋。現在の橋は平成8年に架け替えられた三代目だという。
 低くも畳々とした山が連なり,その間に東西の海を繋ぐ水路が通っていることは窺い知れない。
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 万関橋より西は再び湾が広がり,玄界灘に通じる。湾口には黒島があって,人工の防波堤とともに三浦湾を護っている。
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 浅茅湾の中には大小の島々があって,この中で島山島が本島と架橋されているので,足を向けてみる。「玉調」という集落で国道を折れる。古代からの対馬の特産品で,朝廷に朝貢された真珠に関する地名だとされる。
 玉調の辺りにはソバ畑が見られ,白い小さな花をつけていた。蕎麦は対馬の名物の一つである。
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 尾根道で山を登り,そして下ればアーチ橋の「あそうパールブリッジ」で海を渡る。二つの島の間は100メートルも離れていない。
 下の水路は「狭瀬戸」の名の通り,きわめて細い水路で,最狭窄部では幅30メートルほどしかない。逆光がちの水面がきらめく。
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 順光になっている反対側は,深みから浅瀬への青色のグラデーションが美しい。リアス式海岸らしい眺めだ。
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 島山島の集落島山はパールブリッジからだいぶ離れていた。架橋前は集落から船が出ていたから,交通路が集落の前から後ろに移ったことになる。
 集落裏手の広場まで行き,ここで転回して戻ってきてしまったが,今考えれば少し歩いてみればよかった。
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