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対馬への旅(2) 宗氏の憂鬱(厳原を散策する ‐前編-)

2015.10.17

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旅行日:平成27年10月5~8日・中②
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 博多から夜行フェリーに揺られ,対馬にやって来た。
 8時,厳原のホテルでレンタカーを受領する。狭いロビーは出発を待つ韓国人の団体客で雑踏していた。
 先月,私は対馬空港近くのオリックスレンタカー店舗にインターネット予約をした。街中ではなく,厳原から10キロほど離れた店舗を選んだのは,割引率の大きいプランを利用するためだ。その後,わざわざ営業所から電話を戴いた。予約時刻に飛行機がないことを不審に思ったらしい。
 事情を伝えると,厳原での受領・返却ということにしてくれた。

 レンタカーは走行距離59,000キロの白いムーヴ。対馬は道が狭いと聞いていたので,今回は軽自動車にした。
 いきなりホテルの裏の道がおそろしく狭い。思わず私は係の方に「一方通行ですか」と訊ねた。が,交互通行とのよし。

 走行距離0.7キロで,早速商業施設の地下駐車場に入れる。朝食を摂ったモスバーガーのあるところだ。ここを起点にまずは街歩きとする。
 厳原は港町だからか,ネコが多かった。警戒心が強く,近づかせてはくれない。
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 対馬の中心都市である“厳原(いづはら)”。明治維新までは対馬府中あるいは単に府中と呼ばれていた。

 まずは近くにある金石城を見に行く。室町時代に宗氏によって築かれた城だ。当初は金石屋形と称されたが,寛文5年(1665)に宗義真が城域を拡大し,城としての体裁を整えた。
 藩庁としての役割は延宝6年(1678)に府中城(桟原城)に移ったが,明治維新まで両城が併用された。大手門も大正8年(1919)まで残っていた。現在見られるのは平成になってから復元されたものだ。
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 大手門の石垣は対馬に多い頁岩(チャート)を積んだものだろうか。
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 城の裏手には庭園があって,現在も遺構が残る。しかし,きょうは休園日であった。火・木曜休みとは珍しい。
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 古代,律令制下で対馬にも国府が置かれ,国司が任命された。が,都から遠隔の地であることから国司自身が赴任しないことが多く,在地の掾官による治世がなされた。そうした掾官の中には力をつけるものがおり,平安時代中期には阿比留氏が台頭した。現在も対馬では阿比留姓の人が多い。
 阿比留氏は一族で官人を独占していたが,鎌倉時代になると惟宗氏が頭角を現してくる。惟宗氏(宗氏)は対馬国守護職を任じられた少弐武藤氏(武藤氏)の被官であった。文永の役(元寇)で戦死した宗資国は“守護代”と記されており,在地でその職務に就いていたことがわかる。

 惟宗氏は武家と結びついて勢力を伸ばした。武藤氏が大宰府を掌握すると,対馬地頭代に任ぜられ,島での地位を確固たるものとした。ただし,この時点では対馬国だけでなく筑前国の守護代も務めており,どちらかというと筑前国の方にウエイトを置いていたようである。南北朝期には中央の動乱に乗じて倭寇が頻発したが,対馬がその拠点の一つとなったことは朝鮮半島や大陸への距離の近さだけではなく,惟宗氏が対馬の治世まで手が回っていなかったことを示している。

 元中9年/明徳3年(1392),高麗が崩壊して朝鮮が建国されると,朝鮮は対馬の宗貞茂と連携を強化し,倭寇の沈静化に努めた。応永26年(1419)には朝鮮による対馬への攻撃(応永の外寇)があったが,以降は和平を目指した制度整備が進んでゆく。朝鮮に渡航する船舶には宗氏の発行する分引の所持が義務付けられたため,宗氏が朝鮮貿易の統制を執るようになった。
 宗氏の方としても,大内氏との戦いで筑前国を失い,対馬国に活路を見出す必要に迫られていた。平地が極端に少なく,農業に制約が大きい対馬においては朝鮮との交易は重要な収入源となる。

 金石城址は学校になったが,それも廃校になり,グラウンドが開放されていた。
 背後の山に石垣が見える。これは清水山城。豊臣秀吉が慶長の役(朝鮮出兵)に際しての拠点として築かせたものである。対馬の宗義智に相良頼房(肥後国),高橋直次(筑後国),筑紫広門(筑前国)が協力して普請を行ったという。
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 朝鮮との関係を握る宗氏は天正15年(1587),秀吉に対馬を安堵された。秀吉が九州征伐来ていた際,筑前国箱崎(福岡市)で宗義調(当主),義智と会談したのである。この際,宗氏に朝鮮攻撃を命じたのだが,義調の取り成しによってひとまず延期となった。

 しかし,諦めぬ秀吉は宗氏を通じて朝鮮に度々要求を出した。
 天正15年,宗家家臣柚谷康広を日本国王使として朝鮮に派遣。国内統一祝賀の通信使派遣を求めるが,水路不明を理由に断る。
 翌16年,義調死去により家督を継いだばかりの義智自ら朝鮮へ。通信使派遣要請は再び断られる。
 17年,秀吉から催促があり,再度家臣を朝鮮に遣わす。今回は倭寇の沙乙火同なる人物の引き渡しを条件に通信使派遣が決まる。
 18年,沙乙火同が朝鮮側に引き渡される。宗義智は漢城(ソウル)から通信使に同行し,上洛。聚楽第で通信使に会談した秀吉は朝鮮国王に明国征服の先駆けとなるよう命じる国書を出す。
 19年,朝鮮通信使帰国。宗氏は明国侵攻に協力するよう度々求める。
 20年/文禄元年,肥前国名護屋城の軍勢に出陣命令が下り,文禄の役始まる。

 こう書き並べるだけでも,秀吉と朝鮮に板挟みにされた宗氏の苦衷が窺え,胸が痛む。

 ズームレンズに換えると,石垣の様子がよく見えた。そこだけ木々がなく,登れば景色が良さそうだ。
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 大手門に戻り,山の手を散策する。港から山に向かって,せり上がるように家々が立ち並ぶエリアである。
 厳原では道に面して石垣を築いた家が目立つ。この家はその上に漆喰塀を重ねている。後ろは対馬市役所。
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 やたらと高い石垣を見つける。「対馬西山寺」の看板が立っているのが,まるで城のようだ。
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 この石垣の上には以酊庵があった。朝鮮との外交交渉で活躍した僧の景轍玄蘇が天正年間に開山し,江戸時代を通じて朝鮮の外交出先機関としての役割を担った。初めは別の場所にあったのだが,享保17年(1732)に厳原で大火があり,以酊庵も類焼したため,西山寺に移ってきた。
 西山寺は宿坊を営んでおり,インターネットの宿泊予約サイトにも掲出されている。門のところから拝見すると,狭いながらも港を望む好もしい庭園があった。
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 港に戻る。埠頭に通じる国道建設で生じた入り江には小舟が舫われている。覗き込めば,小魚がひらめく。
 港に面して,日本沿岸に漂着した朝鮮人を収容した「漂民屋」があったという。各地から集められた漂民たちはここを拠点に本国へ送還されたそうだ。
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 注ぎ込む川に沿って醤油の醸造所が建っていた。明治20年創業という対馬醤油江口。蔵造りの建物と大きな看板が特徴だ。
 朝早いがもう開いていたので,ちょっと寄り道。
 感じの好いおばさんが店番をしており,味見をさせてもらう。九州の醤油は甘みが強く,私は好きである。来る度に楽しみにしているのであるが,今回は小さいボトルを購入した。
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 湾に注ぐ川はもう一つあって,厳原の街を貫いていることから,厳原本川と名付けられている。
 この川には佐野屋橋という大正6年に架けられたアーチ橋の石橋が現存する。道路拡幅で見づらくなっているのが残念だが,末永く残っていてほしい。
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 路地にも石垣が目立つ。この石垣については次回,朝鮮通信使とともに触れる。
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