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秋空の大原 勝林院へ

2015.10.11

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目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

音無の滝を見た後、三千院の前の参道に来ました。ここには茶店やお土産屋さんが並んでいます。

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三千院に入る前に、山門を通り過ぎて勝林院の方に向かいました。律川にかかる橋を渡ると、右手に後鳥羽天皇と順徳天皇の大原陵があります。

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後鳥羽天皇は、鎌倉時代初めにわずか4歳で即位し、18歳で退位した後、23年間に渡り院政を敷きました。その間、鎌倉幕府に対抗し「承久の乱」で北条義時に破れて隠岐に配流となり、18年後に亡くなりました。

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順徳天皇は、即位中父の後鳥羽上皇による院政の下で実権が無く、和歌や詩に熱心だったと伝えられています。しかしながら、上皇の討幕計画に参加して敗北の後、佐渡へ配流となり、21年後に亡くなりました。

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上の写真で、右の「十三重塔」が後鳥羽天皇、左の「円丘」(よく見えませんが)が順徳天皇の墓です。下は陵墓からの景色

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隣にある「法華堂」 後鳥羽天皇の冥福を祈念して1240年に建立されました。その後消失して、江戸時代の安永年間(1764-1780)に再建されました。

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参道の突き当りに「勝林院」があります。勝林院は、山号を魚山、正式名を大原寺(たいげんじ)という天台宗の寺院で、天台声明の発祥の地です。

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円仁(慈覚大師)が唐から持ち帰り、比叡山に伝承されていた声明梵唄・常行三昧・引声念仏などを修するため、左大臣源雅信の子寂源が、長和2年(1013)に創建しました。

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あるいは、承和2年(835)に円仁自身によって開かれ、寂源が中興したとする説もあります。いずれにしても、来迎院とともに天台声明の根本道場でした。

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後の天台座主顕真が、後の浄土宗祖法然を招き、各宗の三百名以上の学僧(天台宗の証真、三輪宗の明遍、法相宗の貞慶など)と専修念仏について論議した「大原問答」の旧跡でもあります。

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本堂には本尊の阿弥陀如来座像を安置しています。右手にあるのが問答台です。

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阿弥陀如来の手元からは五色の「善の綱」が延び、結縁として参拝者が触れることができます。

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善の綱のうち白い綱は、葬儀の際に来迎橋の外に安置される棺の上まで伸ばし、如来の導きによって極楽往生するという平安時代からの儀式をおこなうそうです。

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本堂の向拝の手挟(たばさみ)は、菊と牡丹が精巧に彫られています。、

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左の宝篋印塔には鎌倉時代の「正和5年(1316)」の銘があります。

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ところで、大原問答の結果は法然の専修念仏が他派を論破したそうです。法然の主張「弥陀の本願だけが凡夫を救う」という念仏衆生摂取不捨の証拠として、阿弥陀如来は手から光明を放ったとされます。以後「証拠の阿弥陀」と呼ばれるようになりました。

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かっての西林院堂の図面 天皇陵横の法華堂が法華三昧を修行する道場であったのに対し、この堂は常行三昧を修行する阿弥陀堂と考えられ、勝林院では将来再建する予定だそうです。

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境内を出たところにある「法然腰掛石」 大原問答に招かれた法然一行が勝林院の前まで来て、法然がここに座って一休みしたとされます。

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お供の蓮生(熊谷直実)は、大原問答で「念仏停止」を訴える過激な僧徒が仏罰と称して法然上人を襲撃するという噂を聞いていました。そこで、上人に大事があってはならぬと、法衣の下に鎧、 帯には鉈(短刀)を忍ばせて出かけました。

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仏門修行中とはいえ、蓮生は「板東一の剛の者」 と称された武士でした。ところが、その姿を法然上人に見咎められて、鉈をこのやぶに捨てさせられたのです。

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この話には後日談があります。後日、法然は蓮生に、鉈の代わりにと「利剣即是弥陀号 一声称念罪皆除」 と記された南無阿弥陀仏の名号(みょうごう)を授けました。

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それは、「利剣名号」と称されて、蓮生が創建した埼玉県の熊谷寺に今も所蔵されているそうです。これから三千院に向かいます。

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