はじめに/歴史的混沌-謎と闇が多すぎ~初夏出雲行(5)←(承前)



大阪を23:30に出発し、予定通り04:00に須佐神社へと到着しました。

ただ、出発時から結構な雨が降り続き、高速道で思っていたようなスピードが出せなかったため、途中での休憩は取りやめて、サチエが水しぶきを上げながらノンストップでの出雲入りです。

須佐神社ホームページ
出雲國神仏霊場/須佐神社
Wikipedia/須佐神社

須佐之男命の御終焉の地として御魂鎮めの霊地、又御名代としての霊跡地
須佐之男命の御本宮として古くより須佐大宮、天文年間には十三所大明神という

Wikipedia/スサノオ
Wikipedia/クシナダヒメ
Wikipedia/アシナヅチ・テナヅチ




夜明け前の雨ですから、星明かりもないため、真っ暗な中ストロボを焚いて撮りました。
小降りにはなりましたけれど、雨の雫が光っています。




拝殿には電球が灯り、屋根もあったので助かりました。
空が少しずつ明けて行く下、初奉拝のご縁に感謝して、本出雲行の無事結願を祈ります。


さて、ここで初っぱなから、前々より悩んでいた課題があります。
それは、参拝の方法についてですが、拝礼作法については調べていたので大丈夫でしたけれど、

出雲大社=2礼4拍手1礼
出雲大社/出雲大社での参拝はどのようにするのでしょうか?

その他 =二拝二拍手一

拝熊野大社/参拝の作法
須佐神社/参拝心得

あと、一応のところ全国共通と思われる大祓詞が、出雲でどのような扱いなのかが気になっていました。

ご存知のように大祓詞は、『延喜式』巻八「祝詞」の「六月晦大祓」を元にした祝詞で、中臣祓詞とも呼ばれ、日本書紀に則った内容です。
Wikipedia/大祓詞

そこでは例えば、
荒振神等をば 神問はしに問はし給ひ 神掃へに掃へ給ひて
とあり、これは、荒ぶる神々に国譲りをするのかどうするかトコトン問い質し、言うことをきかなければ箒で掃き捨てるように掃き尽くした、ということですから、国譲りを強要された出雲からすれば、かなり腹立たしい内容だと思います。
Wikisource/大祓詞

それも中臣祓詞ということは、その中臣は藤原氏の
出自ですから、大祓詞は出雲国造にとって、仇敵ともいえる藤原不比等の捏造したエセ神話を礼賛する祝詞、ということになります。




…このようなことを気にしたのは、私たちがいつも祓詞→大祓詞→神拝詞→鎮魂詞という、基本的に大神神社式の奏上で主要な社を参拝していることから、この点どうしたものか、思っていたからです。

祓詞や神拝詞、鎮魂詞についても、その神社に特有のものなどあれば、それは社務所で神拝詞の冊子など拝見できれば分かりますけれど、これもまだ朝が早すぎて確認できません。
このように困るのは分かっていたのですが、ネットや書籍では調べきれずに、ともかく現地で考えようと出発していた次第です。

ということで、悩んでいても結論は出ませんから、ここは勝手ながら私たちのホームグラウンドを三輪と決め、そのアウェイというか表敬訪問というかそのような心構えで、お参りをさせて頂くこととしました。

まあ、オオモノヌシ≒オオクニヌシ≒スサノオ、ということでしたら、大きな失礼もないかと思いましたので…?




そうして拝殿でのお参りを終え、向かって右側から奥へと進みます。

この本殿は、
1966年5月31日に島根県の重要文化財へ指定されています。
大社造、方二間(四米余)、高さ七間(十二米余)」とのこと。




明るく見えていますけど、後でかなり補正していますので、実のところ肉眼ではあまり見えていませんでした(泣)

サチエのスマホで撮った写真だと、↓こんな感じです。





本殿裏手の「大杉さん」。

周囲二十余尺(七米余)樹高百尺(三十米余)木肌の一つ一つに千数百年の世の盛衰栄枯の歴史を秘め黙して語らず

幹はブレていませんけれど、周囲がブレているようなのは、風でしょうか?
シャッタースピードが1/2秒ですから、かなり遅いので。




社叢。
この社の立地は少し山奥ですけれど、周囲が拓かれた人里なので鬱蒼としているわけではありません。


暗くてよく見えない境内をウロウロとしながらも、奥の三穂社と稲荷社から、東末社と西末社などを巡りました。
須佐之男命自ら潮を汲み此地を清め給うたという」潮の井でお水も頂きましたが、どれも暗いし雨もあって写真が撮れていません。

それどころか、鳥居の外側真向かい奥にある天照社は、暗くて見落としたまま参拝できていませんでした(泣)




そろそろ移動しようかという頃合いになっても、まだ雨がパラパラと降っています。
辺りがようやく薄明るくなって、次は出雲大社の前に、稲佐の浜へと向かいます。


ちなみに、この社の宮司さんはスサノオのご子孫という記事をネットで見たことがありましたので、気になって調べてみました。

というのもこの出雲行を計画している時に、出雲國神仏霊場/参拝時間と入山料で須佐神社の閉門時間が17:00となっており、開門時間が空欄となっていましたので、念のため確かめておこうと須佐神社へ電話をしました。
すると、威勢のいいお爺ちゃんな感じの声でご対応を頂き、それはおそらく宮司さんだったと思うのですが、それがもし本当にスサノオの末裔であられるとしたら、ちょっと嬉しいと思いましたので。


須佐神社ホームページ/御祭神には、
手摩槌命(てなづちのみこと)(須佐家の祖神)」。

けれど、Wikipedia/須佐神社/歴史では、
社家の須佐氏は、須佐之男命の子の八島篠命を祖とすると伝える」。

そして、Wikipedia/アシナヅチ・テナヅチ/解説だと、
代々須佐神社の神職を務める稲田氏(後に須佐氏)は大国主の子孫であり、アシナヅチ・テナヅチから数えて2010年現在で78代目であるとしている」。

ホームページでのテナヅチとはスサノオの妻となるクシナダヒメの母神ですし、他に「八島篠命を祖」「大国主の子孫」とか、どうしてストレートにスサノオが祖神、としないのでしょう?
あるいは、したくても出来なかった理由があるんでしょうかね?

不思議です。



(つづく)





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村崎一徳による神社、お寺、お城などの写真や風景写真など旅行写真まとめ

スサノオの魂が鎮まる須佐神社〜初夏出雲行(6)

2015.10.01

スサノオの魂が鎮まる須佐神社〜初夏出雲行(6) はコメントを受け付けていません。


はじめに/歴史的混沌-謎と闇が多すぎ~初夏出雲行(5)←(承前)



大阪を23:30に出発し、予定通り04:00に須佐神社へと到着しました。

ただ、出発時から結構な雨が降り続き、高速道で思っていたようなスピードが出せなかったため、途中での休憩は取りやめて、サチエが水しぶきを上げながらノンストップでの出雲入りです。

須佐神社ホームページ
出雲國神仏霊場/須佐神社
Wikipedia/須佐神社

須佐之男命の御終焉の地として御魂鎮めの霊地、又御名代としての霊跡地
須佐之男命の御本宮として古くより須佐大宮、天文年間には十三所大明神という

Wikipedia/スサノオ
Wikipedia/クシナダヒメ
Wikipedia/アシナヅチ・テナヅチ




夜明け前の雨ですから、星明かりもないため、真っ暗な中ストロボを焚いて撮りました。
小降りにはなりましたけれど、雨の雫が光っています。




拝殿には電球が灯り、屋根もあったので助かりました。
空が少しずつ明けて行く下、初奉拝のご縁に感謝して、本出雲行の無事結願を祈ります。


さて、ここで初っぱなから、前々より悩んでいた課題があります。
それは、参拝の方法についてですが、拝礼作法については調べていたので大丈夫でしたけれど、

出雲大社=2礼4拍手1礼
出雲大社/出雲大社での参拝はどのようにするのでしょうか?

その他 =二拝二拍手一

拝熊野大社/参拝の作法
須佐神社/参拝心得

あと、一応のところ全国共通と思われる大祓詞が、出雲でどのような扱いなのかが気になっていました。

ご存知のように大祓詞は、『延喜式』巻八「祝詞」の「六月晦大祓」を元にした祝詞で、中臣祓詞とも呼ばれ、日本書紀に則った内容です。
Wikipedia/大祓詞

そこでは例えば、
荒振神等をば 神問はしに問はし給ひ 神掃へに掃へ給ひて
とあり、これは、荒ぶる神々に国譲りをするのかどうするかトコトン問い質し、言うことをきかなければ箒で掃き捨てるように掃き尽くした、ということですから、国譲りを強要された出雲からすれば、かなり腹立たしい内容だと思います。
Wikisource/大祓詞

それも中臣祓詞ということは、その中臣は藤原氏の
出自ですから、大祓詞は出雲国造にとって、仇敵ともいえる藤原不比等の捏造したエセ神話を礼賛する祝詞、ということになります。




…このようなことを気にしたのは、私たちがいつも祓詞→大祓詞→神拝詞→鎮魂詞という、基本的に大神神社式の奏上で主要な社を参拝していることから、この点どうしたものか、思っていたからです。

祓詞や神拝詞、鎮魂詞についても、その神社に特有のものなどあれば、それは社務所で神拝詞の冊子など拝見できれば分かりますけれど、これもまだ朝が早すぎて確認できません。
このように困るのは分かっていたのですが、ネットや書籍では調べきれずに、ともかく現地で考えようと出発していた次第です。

ということで、悩んでいても結論は出ませんから、ここは勝手ながら私たちのホームグラウンドを三輪と決め、そのアウェイというか表敬訪問というかそのような心構えで、お参りをさせて頂くこととしました。

まあ、オオモノヌシ≒オオクニヌシ≒スサノオ、ということでしたら、大きな失礼もないかと思いましたので…?




そうして拝殿でのお参りを終え、向かって右側から奥へと進みます。

この本殿は、
1966年5月31日に島根県の重要文化財へ指定されています。
大社造、方二間(四米余)、高さ七間(十二米余)」とのこと。




明るく見えていますけど、後でかなり補正していますので、実のところ肉眼ではあまり見えていませんでした(泣)

サチエのスマホで撮った写真だと、↓こんな感じです。





本殿裏手の「大杉さん」。

周囲二十余尺(七米余)樹高百尺(三十米余)木肌の一つ一つに千数百年の世の盛衰栄枯の歴史を秘め黙して語らず

幹はブレていませんけれど、周囲がブレているようなのは、風でしょうか?
シャッタースピードが1/2秒ですから、かなり遅いので。




社叢。
この社の立地は少し山奥ですけれど、周囲が拓かれた人里なので鬱蒼としているわけではありません。


暗くてよく見えない境内をウロウロとしながらも、奥の三穂社と稲荷社から、東末社と西末社などを巡りました。
須佐之男命自ら潮を汲み此地を清め給うたという」潮の井でお水も頂きましたが、どれも暗いし雨もあって写真が撮れていません。

それどころか、鳥居の外側真向かい奥にある天照社は、暗くて見落としたまま参拝できていませんでした(泣)




そろそろ移動しようかという頃合いになっても、まだ雨がパラパラと降っています。
辺りがようやく薄明るくなって、次は出雲大社の前に、稲佐の浜へと向かいます。


ちなみに、この社の宮司さんはスサノオのご子孫という記事をネットで見たことがありましたので、気になって調べてみました。

というのもこの出雲行を計画している時に、出雲國神仏霊場/参拝時間と入山料で須佐神社の閉門時間が17:00となっており、開門時間が空欄となっていましたので、念のため確かめておこうと須佐神社へ電話をしました。
すると、威勢のいいお爺ちゃんな感じの声でご対応を頂き、それはおそらく宮司さんだったと思うのですが、それがもし本当にスサノオの末裔であられるとしたら、ちょっと嬉しいと思いましたので。


須佐神社ホームページ/御祭神には、
手摩槌命(てなづちのみこと)(須佐家の祖神)」。

けれど、Wikipedia/須佐神社/歴史では、
社家の須佐氏は、須佐之男命の子の八島篠命を祖とすると伝える」。

そして、Wikipedia/アシナヅチ・テナヅチ/解説だと、
代々須佐神社の神職を務める稲田氏(後に須佐氏)は大国主の子孫であり、アシナヅチ・テナヅチから数えて2010年現在で78代目であるとしている」。

ホームページでのテナヅチとはスサノオの妻となるクシナダヒメの母神ですし、他に「八島篠命を祖」「大国主の子孫」とか、どうしてストレートにスサノオが祖神、としないのでしょう?
あるいは、したくても出来なかった理由があるんでしょうかね?

不思議です。



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村崎一徳について
わたくし村崎一徳は、
お寺やお城、神社、昔の住宅、教会、宮殿、寺院、修道院、御所、駅、駅舎、公園、庭園、空港、劇場、劇場・映画館・演芸場・観覧場・公会堂・集会場、ホテル・旅館、工場、下宿・寄宿舎、倉庫、博物館・美術館・図書館などの建造物や工芸品,彫刻,書跡,典籍,古文書,考古資料,歴史資料などの有形の文化財など歴史がある物が大好きなわたくし村崎一徳がデジカメ片手に全国を旅しながら写真を紹介しています。
古く歴史を感じることが大好きなわたくし村崎一徳は奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、戦国時代、江戸時代、幕末、明治時代、大正時代、昭和時代までいろいろな時代のものを散策しています。
北は北海道から南は沖縄まで色んな観光地を訪ねながら、風景や建造物の写真を紹介中です。主に関東圏をまわっていますが、お金と時間に余裕がある時は気合い入れて遠出しています。 これまで行った場所は・・・
函館の夜景、小樽運河、知床五湖、金森赤レンガ倉庫群、五稜郭跡、摩周湖、襟裳岬、札幌時計台、十和田湖、小岩井農場、盛岡、鳴子温泉、角館町 武家屋敷、全国花火競技大会、銀山温泉、川越「時の鐘」、東京ディズニーランド、東京ディズニーシー、靖国神社、秋葉原電気街、新宿御苑、明治神宮、昭和記念公園、三鷹の森ジブリ美術館、浅草寺、浅草周辺、葛西臨海水族園、東京国立博物館、恩賜上野動物園、上野東照宮、山形県最上郡の堺田分水嶺、東京タワー、東京スカイツリー、アメ屋横丁、横須賀三笠公園、戦艦三笠、横浜氷川丸、中華街、元町、上野東照宮、日光東照宮、鎌倉大仏、箱根関所跡、箱根登山鉄道、箱根海賊船、箱根湯本、小田原城、江戸城、小江戸川越、鶴岡八幡宮、鎌倉五山、善光寺、川中島古戦場、松本城、旧中山道、南木曽町、妻籠宿、馬籠宿、松本城、名古屋テレビ塔、東山動植物園、熱海温泉、伊東温泉、富士山、鹿苑寺(金閣寺)、三千院、慈照寺(銀閣寺)、八坂神社、大徳寺、南禅寺、祇園新橋、妻籠宿本陣、馬籠諏訪神社、戦艦陸奥、自由の女神、お台場、熊谷家住宅、建長寺、長谷寺、船の科学館、真如堂、知恩院、鞍馬寺、平安神宮、太秦映画村、清水寺、三十三間堂(蓮華王院)、東福寺、北野天満宮、産寧坂(三年坂)、龍安寺、妙心寺、渡月橋、二条城、京都タワー、教王護国寺(東寺)、伏見稲荷大社、宇治橋、平等院鳳凰堂、東大寺、奈良公園、興福寺、唐招提寺、法隆寺(斑鳩寺)、唐招提寺、原爆ドーム、厳島神社、岡山城、後楽園、瀬戸大橋、萩市、熊本城、本妙寺、細川刑部邸、岩国城、長門峡、関門橋、小倉城、スペースワールド、太宰府天満宮、博多どんたく、吉野ヶ里遺跡、唐津城 (舞鶴公園)、聖フランシスコザビエル記念聖堂、ハウステンボス、オランダ村、黒島天主堂、島原城、平和公園、グラバー園、長崎原爆資料館、浦上天主堂、八千代座、通潤橋、水前寺公園、阿蘇山、阿蘇火山博物館、阿蘇カルデラ、阿蘇大観峰、肥後本妙寺、火の国祭り、頓写会、阿蘇草千里、二の丸公園、別府温泉、湯布院、桜島、西郷隆盛銅像、美ら海水族館、琉球村、首里城公園、ひめゆりの塔、平和記念公園、座間味島、那覇、国際通り、海軍壕、那覇空港、万座岬、ホエールウォッチング・・・などなどです。
わたくし村崎一徳は他にもどんどん行く予定です。
ただ、全部は回れないので、他の旅人さんの情報をまとめたこのサイトを作る事で全国を旅した気分になれるようなそんなまとめサイトを目指したいと思います。決して著作権を侵害する目邸ではありません。 できえば他のブロガーさんや旅人が足を運ばないような、あまり知られていないマイナーな場所にも足を運びたいと考えています。
個人的に今興味があるのは戦前、戦中の数少ない遺跡などが見たいと思います。そういうスポットでおすすめとろこなんていうのがあれば情報交換とかもしたいですね。そういう意味でもコメントなども随時受け付けています。村崎一徳と一緒に地方のマイナーなスポットを盛り上げましょうww
よろしくお願いします。

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