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サクラ咲く若松城/会津若松の古い街並みを散策する(後)

2015.09.19

サクラ咲く若松城/会津若松の古い街並みを散策する(後) はコメントを受け付けていません。

旅行日:平成27年4月(13~)14~16日⑦
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 東山から市街に戻り,若松城を訪れます。主要地方道64号(千石通り)沿いの花春町には,文禄年間に蒲生氏郷によって築かれたとされる天寧寺町土塁が現存しています。
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 室町時代後期,会津地方は「会津守護」を自称する蘆名氏が領有し,黒川城を拠点としていました。
 蘆名氏は領地を接する西の上杉氏と東・北の伊達氏に圧迫され,秀吉への服属を決めました。が,伊達政宗は「惣無事令」に反して蘆名領に攻め込み,蘆名義広と猪苗代湖畔の摺上原で合戦となりました。
 摺上原の戦いでは蘆名氏が大敗を喫し,黒川を守る守備力さえ喪失したため,義広は実家の佐竹家に逃げ帰り,黒川城は政宗の手に渡りました。

 会津を手中に収めた政宗でしたが,天正18年(1890)の「奥州仕置」に際し,秀吉から「惣無事令」に反したことを咎められ,旧蘆名領は没収されることとなりました。
 空いた会津には,政宗への押さえとすべく伊勢国松坂城(三重県松阪市)の蒲生氏郷が配置されました。当初の所領は陸奥国会津・白河・岩瀬・安積4郡の42万石でしたが,のちに90万石に加増されました。
 氏郷は黒川城に七層の天守を築き,武士と町人の住まいを分離するなど,城下町を整えました。また,氏郷は近江国日野(滋賀県日野町)の出身で,故郷にあった「若松の森」にちなんで,黒川の名を若松に改めています。旧領の松坂も氏郷による命名とされています。

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 ※蒲生氏郷の旧領である松阪の散策記

 これも氏郷が整備したという外濠のサクラは7分咲きといったところ。
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 二ノ丸から内濠を廊下橋で渡り,本丸へと進みます。枡形門形式の城門があったのでしょうが,石垣を遺して失われています。
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 氏郷は文禄4年(1595)に死去し,子の秀行が継ぎました。しかし,若い秀行には家内を統制することができず,御家騒動に発展し,大幅減封で下野国宇都宮18万石に移封となりました。
 代わって越後国から上杉景勝が入封。所領は越後国の一部と佐渡国,出羽国3郡,陸奥国南部にわたり,120万石という宏大なものでした。
 蒲生氏もそうでしたが,上杉氏にしても秀吉が会津に配置したのは伊達氏の押さえとするためでした。このことは結果的に景勝と家康の対立を招き,慶長5年(1600)に家康は会津征伐を決めます。家康らは大坂から下野国小山まで進軍しましたが,石田三成が挙兵したことを知って引き返しました。

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 ※小山評定に関して(記事の後半部分)

 本丸に入り,復元天守が近づいてきました。サクラのよく咲いているところを切り取ります。
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 関ケ原の戦いにおいて,景勝は西軍について陸羽で戦いました。相手は出羽国の最上氏や陸奥国の伊達氏で,決着はつきませんでしたが,三成が敗れたために家康に降伏せざるを得ませんでした。家の取り潰しは免れましたが,所領は4分の1に減らされ,出羽国米沢に30万石に移りました。一方,かつての領主である蒲生秀行は,戦いでの働きと家康の娘と結婚したというツテにより,会津に60万石を与えられて戻ってきました。
 しかし,秀行の子である忠郷が嗣子なしで死去。本来なら家の断絶となるところですが,家康の威光で家名存続となりました。寛永4年(1627)に蒲生家は伊予国松山24万石に減封され,入れ替わりで加藤嘉明が40万石で入封しました。

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 ※加藤嘉明の旧領である松山に関して

 嘉明の子の明成は城を改修し,その際に七層の天守を五層に改めました。現在復元されている若松城天守は,その改修以降戊辰戦争までの姿を模しています。
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 加藤明成は暗愚とされ,御家騒動が原因で会津を統治できなくなり,寛永20年,出羽国山形藩から保科正之が入ります。
 正之は2代目将軍秀忠の子で,信濃国高遠藩の保科家の養子になっていました。異母兄で3代目将軍の家光に取り立てられ,高遠から山形を経て会津にやって来たのです。保科家の所領は,正之が養子に入った時の3万石から23万石にまで加増されていました。

 保科家は正之から3代目の正容の時に「松平」姓を名乗るようになり,幕末まで会津藩を治めました。
 そして,その出自から幕府との関わりが深く,幕末の文久2年(1862)には藩主の松平容保が新設された京都守護職に就任しました。共に公武合体を推し進めていた薩摩藩とともに,多数の藩兵を京の警備に動員し,蛤御門の変では長州藩を打ち破りました。しかし,薩摩藩の反幕への転換によって対立するようになり,慶応4年(1868)1月に京郊外の鳥羽・伏見で衝突しました。
 会津藩は仙台藩や庄内藩,米沢藩などの諸藩と奥羽州列藩同盟を結び,新政府軍に対抗しましたが,西洋の新式兵器を導入した新政府軍相手に次々に敗れました。7月に東の二本松藩が落ちると,新政府軍は会津藩領に迫り,守備兵の薄い母成峠から雪崩込みました。

 復元天守の最下層は塩蔵で,蔵の様子が再現されています。
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 藩領に侵攻した新政府軍に対し,会津藩は籠城戦をとり,ひと月耐えたのちに降伏。砲弾にさらされ,傷ついた若松城は政府の命もあり,明治7年に解体されました。
 戦後,天守復元の機運が高まり,昭和40年にその工事が完成しました。

 各地の復元天守の多くがそうであるように,若松城内も資料館となっていて,城や藩に関する展示を見て回りました。
 そして,最上階の五層目は展望層。城内のサクラを見下ろします。
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 城を後回しにしたのは,晴れるのを期待していたためでしたが,結局はご覧の有様。晴れそうな兆しはあるものの,空は霞み,盆地を囲む磐梯山や飯豊山地も見えません。
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 戦に敗れた会津藩は領地を失いました。それでも23万石のうち,3万石が与えられることになり,磐梯山麓の猪苗代と陸奥国北辺のうちから後者を選び,斗南藩を立てました。

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 ※移封先の斗南藩のこと

 ところで,私は7年前にもこの城を訪れたことがあります。その間の平成23年(2011)に復元天守の屋根瓦が黒瓦から赤瓦に葺き替えられ,だいぶ印象が変わりました。
 南側の干飯櫓脇から南走長屋,鉄門,天守を望みます。
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 これで若松城を後にし,街歩きを再開します。

□上菓子司 会津葵
 城のすぐ北側に位置する和菓子屋です。創業は昭和40年で,建物に関する情報が見当たらなかったので,新しい建築かも知れません。ただ,そうだとしても景観に調和した“人を惑わす”いい建築です。
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□宮泉銘醸
 北出丸通りを少し北上。交差点に面して大きな醸造場が見えてきます。宮泉銘醸は創業こそ昭和30年と比較的新しいですが,建物は大正期に建てられたものです。
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□会津若松市役所
 西に折れたところにある市役所も立派な近代建築です。
 会津若松市は福島県内で最初の市として,明治32年に市制施行しました。この市役所庁舎が建てられたのは昭和12年のこと。鉄筋コンクリート造りの3階建てで,入り口のアーチと,その上部の窓の半円に統一感を持たせています。
 なお,市制以来若松市を名乗っていましたが,福岡県に同名の市があった(現在は北九州市のうち)ため,昭和30年に現市名に改称しました。
 目の前の道が細く,建て込んでもいるので,写真の引きがとれません。
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 自動車道としてのメインストリートになっている中央通りと交差し,並行する大町通りに折れます。

□旧黒河内胃腸科内科
 こちらの小ぶりな洋風建築は昭和11年築。瓦屋根にドーマー窓とは日本的です。当時としては相当モダーンだったのではないでしょうか。
 大小の石を埋め込んだ塀には和歌山県で産する那智黒石が使用されているそうです。
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□旧遠藤米穀店
 数軒を隔てたところにある土蔵造りのこの建物は新しそうにも見えますが,明治11年築。
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□福西本店
 道路を挟み,重厚な土蔵造りの福西本店。福西家は蘆名氏時代からの商いをしていて,江戸時代には豪商になっていたそうです。
 現在の建物は大正3年築。同じ土蔵造りでも,白壁は軽快,黒壁は重厚とかなり印象が異なります。漆喰は白よりも黒の方が高価で,福西家が豪商であったことを窺わせます。
 手前の煉瓦塀は防火性を高めるためのものでしょうか。
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□旧會陽医院
 隣接してかつての医院。アメリカで西洋医学を学び,明治23年に帰国した渡部鼎が開業しました。この医院は会津出身の医学者である野口英世ゆかりの地でもあります。英世が幼少期に囲炉裏に落ちて火傷を負い,手指が癒着し,手術を受けたことが彼が医学を志すきっかけになったことはよく知られていますが,その手術を受けた場所こそここ會陽医院なのです。
 医学を志した英世はこの医院で書生として3年間働き,上京しました。
 建物は黒壁ながらも西洋風の意匠が見られます。
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 程なく大町四ツ角に到り,ホテルで預かってもらっていた荷物を回収。そのまま北上して駅に向かいます。

□旧大島半兵衛商店
 土蔵造りで,漆器店を営んでいたそうです。漆喰が塗り替えられたばかりなのか,白がきれいです。
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□小野寺漆器店
 明治元年の建築。若松城が開城し,会津での戦火が止んだのは新暦でこの年の11月のこと。僅か2ケ月で建てられたとは考えにくく,新築の建物が難を逃れたのでしょう。
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□羽金家住宅
 大正8年築の邸宅。住宅の築年数は言われなければなかなか分かりませんね。
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 13時半過ぎ,会津若松駅に到着。ここから列車を乗り継ぎ,寄り道もしながら帰ります。

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 ※18歳の私による会津の旅行記。自分で言うのも難ですが,背伸びしてる感じが初々しく,全体的に純粋な感じが漂います

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個人的に今興味があるのは戦前、戦中の数少ない遺跡などが見たいと思います。そういうスポットでおすすめとろこなんていうのがあれば情報交換とかもしたいですね。そういう意味でもコメントなども随時受け付けています。村崎一徳と一緒に地方のマイナーなスポットを盛り上げましょうww
よろしくお願いします。

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