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宇陀松山夢街道 町並みライトアップ 『宇陀松山はなぜ薬の町として栄えたのか』

2015.09.15

宇陀松山夢街道 町並みライトアップ 『宇陀松山はなぜ薬の町として栄えたのか』 はコメントを受け付けていません。


2011年撮影です。

宇陀松山は江戸時代に陣屋町として栄えた町で、今も情緒ある街並みが残されています。

宇陀松山 薬の館 

↑ 薬の館(旧細川 家住宅)です。
かつて細川家は薬商を営み、「人参五臓圓」「天寿丸」などを販売していました。
藤沢薬品の創業者・藤沢友吉は細川家の出で、のちに藤沢家の養子となっています。

宇陀松山 薬の館 

唐破風付きの看板がとてもゴーシャスですね~!

宇陀松山 薬の館 薬箱 
↑ 薬の館の内部です。
魔除けの鍾馗(しょうき)さんや薬箱が目をひきます。
唐の玄宗がマラリアを患った際、大鬼が現れて宮中でいたずらをしていた子鬼を食べると玄宗の病は回復したという伝説があります。
この大鬼が鍾馗さんです。

よく屋根の上などに魔除けとして鍾馗さんの像が飾ってあるのを見かけますが
薬商を営んでいた細川家では、玄宗のマラリアを治した神様ということで鍾馗さんを信仰していたのかも?


5月5日の端午の節句に鍾馗さんの絵や像を奉納する習慣もあったそうですが
ここ宇陀松山は端午の節句とも関係の深い土地でした。

古代にはこのあたりは阿騎野と呼ばれていたのですが
推古19年(西暦611 年)5月5日、阿騎野で薬猟(くすりがり)が行われたという記述が日本書記にあります。
また天武・持統天皇代にも阿騎野で薬猟が行われています。

薬猟とはもともとは鹿をとらえて薬となる鹿の角をとることをいっていたようですが、しだいに男性は狩猟を、女性は薬草摘みをする行事へと変化していったようです。

宇陀松山には「薬の館」(旧細川家住宅)のほか、「森野旧薬園」などもあり
江戸時代には薬や吉野葛の商いで栄えていましたが、そのルーツは古代の薬猟にあるのかも?

宇陀松山 万方寺

↑ 万方寺

なぜ阿騎野(宇陀松山)は古代に薬猟が行われたり、江戸時代には薬の町として栄えたのでしょうか。
薬草が豊富に採れたから?
でも、阿騎野が特別薬草の生育に適した土地のようには思われませんし
特産品の薬草があるとも聞きません。(私が知らないだけ?)
しかしどうやら、阿騎野で採れる薬草にはブランドとなりうる特徴があったようです。

『日本書紀』皇極3年に、菟田山で生えていた紫のキノコ(芝草)を食べて不老長寿であったという記事が記されています。
『日本霊異記(りょういき)』には宇陀の山野の野草を食べた女性が天女になったという話が記されています。

宇陀には水銀(丹)の鉱脈があります。
水銀はかつて不老長寿の妙薬とされていました。
『日本書紀』や『日本霊異記』の話は宇陀に水銀の鉱脈があるところから作られたものでしょう。

つまり、宇陀の薬草は不老長寿の妙薬である水銀を含んでいるということでブランド化したのではないかと思うのです。

水銀は水俣病の原因になるなど不老長寿どころか健康に悪いのですが
なぜ水銀が不老長寿の妙薬であるなどと考えられたのでしょうか。

高野山 紅葉 『空海と即身仏』 
↑ こちらの記事にも書いたように、は多くの即身仏が残ることで有名な山形県湯殿山は土壌の水銀濃度が高いです。
即身仏になるためには木食といって五穀を絶って木の実や草などを食べる修行を行います。
水銀には防腐作用があるそうです。
水銀土壌の水銀濃度が高いとそこで育った木の実や草の水銀濃度も高くなり、これらを食べることで体内に水銀が蓄積され、その防腐作用で死後腐りにくい体になったと考えられています。

なぜ苦しい修行を行ってまで即身仏になろうとしたのかというと、56億7000万年後に弥勒菩薩が現れるとき、復活してその聖業に参加するためであったといわれます。
昔の人々は復活するためには魂の入れ物である肉体が必要だと考えていたのではないでしょうか。

宇陀松山 西口関門 

↑ 松山西口関門


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