久須夜ヶ岳(エンゼルライン)~海の日若狭行(7)←(承前)


水月湖畔ドライブインよしだの名物イカ丼をゆっくりと頂いて昼食休憩。
その後、店前の分岐から、西の海山料金所を通りレインボーラインへと入りました。



国指定名勝の三方五湖はもちろん、若狭湾から日本海を一望できる梅丈岳(400.2m)。
その山頂公園へと至るレインボーラインの第2駐車場から西方を望みます。
三方五湖レインボーライン

真ん中に先ほどの久須夜ヶ岳、左手が世久見湾と烏辺島、時刻は13:30頃となりました。




こちらは南方を望みます。
手前の湖が水月湖、右手前の山とそこに連なる丘陵を挟んで向こう側が三方湖となります。




三方五湖周辺の地図看板。
ここ第2駐車場は、[現在地]と記されています。

三方五湖は五つの湖で構成されており、五つの湖はすべてつながっている状態である(Wikipedia)

・日向湖─(ひるがこ)─海水/面積0.92km²/深度38.5m/周囲 4.00km
・久々子湖(くぐしこ)─汽水/面積1.40km²/深度 2.5m/周囲 7.10km
・水月湖─(すいげつこ)汽水/面積4.18km²/深度34.0m/周囲10.80km
・菅湖──(すがこ)──汽水/面積0.91km²/深度13.0m/周囲14.20km
・三方湖─(みかたこ)─淡水/面積3.58km²/深度 5.8m/周囲 9.60km


こうやって地図を見ると、どうしも正面の梅丈岳がご神体山で、左上の常神半島が奥宮のように思えるのですが、調べた限りではそれに適合する神社や寺院はもちろん、伝承などもこの一帯に存在しないようです。不思議ですね~。

そもそも梅丈岳は、三方富士と呼ばれるほど端正な山容ですし、標高も神体山として頃合いで、背後は北方で日本海、南面して三方五湖があるわけですから、イイ配置だと思うんですけど。

梅丈岳の山頂から南南東6kmに、縄文時代草創期~前期(およそ13,000~5,500年前)の遺跡である鳥浜貝塚があります。
さらに、その
鳥浜貝塚から2艘、すぐ近くのユリ遺跡から9艘、計11艘という縄文の丸木舟が出土しています。

その鳥浜貝塚から見た
梅丈岳は、↓こんな感じ。

ふるさとの富士/福井の「ふるさとの富士」/三方富士(梅丈岳)

なので太古原始の大昔から、この鳥浜ムラの人々は、毎日この
梅丈岳を特別な存在として見遣りながら生活してたと思うんですが、どうなんでしょう。

例えば、この辺りで著名な参拝ポイントは、宇波西(うわせ)神社と、三方石観音となりますが、両方とも参拝の向きが梅丈岳への方向とは大きく違っています。
もっとよく調べれば何かあるのかも知れませんけれど、今のところ不明なままです。


ちなみに、神体山云々とは関係ありませんけれど、GoogleMapで航空写真を見ていたら、梅丈岳から常神半島へ続く稜線は、上の地図看板のようにクッキリと括れているのではなく、実際はなだらかな尾根によって繋がっているようでしたので、


調べてみたところ、やはり梅丈岳と常神半島は縦走できるようでした。

あそぼーや日記 若狭・三方五湖の自然とあそぼう:梅丈岳山頂へ、常神半島の尾根縦走
やまgon/常神半島縦走

まあ、だからどうした、なんですけれど…何だか楽しそうですねえ。




烏辺島と久須夜ヶ岳を背に、記念撮影。
日除けのジャケットが暑そうです。




沖の石と常神半島の案内看板。

「常神には敦賀から船出された神功皇后が暴風雨に会い荒波をさけるために避難されたと伝えられる御神島があり常神神社に祀られています」とあります。




沖の石はどれでしょうか?
望遠で撮ってみました。

右手にハッキリと見えている岩礁群は、おそらく沖の石でなく千島のような気がします。
そうだとすれば、左手の内外海半島、その少し手前に黒い小さな点のように見える(見えますか?)岩礁が、沖の石なんでしょうか。
ハッキリとは、分かりません。




山頂公園へは、第1駐車場からリフトかケーブルカーで登ります。

他に遊歩道もありましたけれど、全て入園料は同じだけ必要とのことで、誰も徒歩で登り降りする人はいないようでした(笑)




眼下に広がり行く紺碧の日本海を前にして、少しボ~と放心するサチエ。
出発からすでに12時間を越えていますから、お疲れが貯まっている模様です。




ケーブルカーは、瞬く間に登っていきます。
三方五湖のひとつ、唯一海水の日向湖が見えて来ました。
さらにその向こうには、久々子湖がチラッと見えています。




そろそろ山頂公園に着きそうな頃。
日向湖の湖面に浮かぶ養殖生け簀のイカダも見えて来ました。


その日向湖の向こう側
右手、緑の丘陵を越えた先に見える弓形の砂浜は、美浜の海岸です。
実は、この若狭の海水浴場を代表する美しい砂浜で、美浜事件は起こりました。

美浜事件とは、1990年10月28日早朝に美浜町の松原海岸へ北朝鮮の工作船が漂着し、その後、男2人の水死体が見つかると県警はその2人を工作員と断定、日本海沿岸から工作員の潜入や脱出を図る北朝鮮の行為が明らかになった、というものです。

さらに県警によると「北朝鮮からの距離は約800キロ。母船から小舟に乗り換え、海保などに発見されないよう海岸を目指した。嶺南地域に集中する原発の明かりが上陸地点の確認に役立った」とされるそうです。

また「海岸からJR小浜線美浜駅までは1キロほどで、工作員が京阪神や名古屋方面への潜入を企てた場合、漂着現場は上陸の最適地と考えられている」とのこと。

産経ニュース/「美浜事件」風化させない 敦賀署、市役所で資料9点を公開 福井

福井県警察本部/絵で見る美浜事件
※テキストエンコーディングShift JISでご覧ください

先の小浜アベック拉致事件と併せ、どうにも物騒なお話しで申し訳ございません。
ただ、若狭という国は有史以前より、大陸や朝鮮半島との関係において、このような海と地の利便に晒され続け、かつ立脚してあるのだということを直截に実感できる例として、お伝えしたく思いました。


それで、まぁお口直しというか、もうチョット平和な事績もお知らせしておきますと、日本で初めてゾウが上陸したのも小浜、ということです(笑)

 今から600年前の応永15年(1408年)6月22日、小浜へ南蛮船がやってきました。亜烈進卿という南蛮の帝王の命令で、今のインドネシアのパレンバンから来た船で、室町幕府の将軍への贈り物として「黒ゾウ1匹、クジャク2対、オウム2対、そのほか献上品」などが乗っていました。
 その後、ゾウは約1ヵ月かけて京の都へ到着、4代将軍足利義持に献上されました。

小浜市/トピックス/日本で初めてゾウが上陸したのが小浜です




山頂から南南東を望みます。

第2駐車場で見るよりも標高が高い分、向こうにある三方湖が大きく見えて、画面左の菅湖もよく見えています。




次は南西の方角。

遠くに見える山波は、近江、丹波、山城の三国にまたがる三国岳などの山容でしょうか。
これは京都を見遣る方角ですから、あの山々の峠を鯖街道で越え、都と緊密に繋がっていた若狭の歴史に思いを馳せます。




ここから北東の常神半島と御神島を紹介するポーズのサチエ。

あの尾根を伝って御神島まで歩こうよ、だったらチョット怖いですね…(汗)
タマタマそちらを向いていただけだと思いますけど、中々イイ勘しています。




西方を望みます。
海の右端、向こう奥に霞んで見えるのは丹後半島で、若狭湾の西端となります。




これは北の方角。
右向こう奥に霞んで見えているのが越前岬で、若狭湾の東端です。
その手前、右端に少し見えているのが敦賀半島。

なお、ここから北北西へ900kmを直進すれば、ロシア太平洋艦隊の軍港都市、ウラジオストクに至ります。


ここでチョット話しが飛びますけれど、冬の越前でいつもお世話になる海辺の宿に、とある作家の遺した詩があります。


     う み べ の 宿 で 一 杯 や れ ば

     空 は あ お あ お い い 気 持 ち

     ロ シ ア、 朝 鮮 も 目 の あ た り

     風 は ひ ょ う ひ ょ う 波 ま た 波


こんなノンキな詩を思い出しつつ、日本海若狭の風景を見て感じることは、どうにか人間の智恵と愛で、この緑と水の国にいつまでもの平和を、という願いに尽きますね。




山頂公園から見た三方五湖の全貌パノラマ。
左から、若狭湾、日向湾、日向湖、久々子湖、水月湖、菅湖、三方湖。




下りはリフトを使いました。

先に行くサチエへ、こちらを振り向くよう声を掛けましたが、固まって動きません。
ずり落ちそうで、怖かったそうです(笑)




ケーブル乗り場の横にある巨大なたぬき。
大名たぬき角兵ヱ、だそうです。
紙芝居も、♪チンチクリンじゃ、チンチクリン♪って、結構面白いんですねえ。

他にも、こんなのがありました。

梅丈岳の林に行ったら、狸が化けて出て「井伊監門のお通りだ」と化かした。
国際日本文化研究センター | 怪異・妖怪伝承データベース/民俗採訪(昭和33年度号)
要約だからなのか、ちょっと意味が分かりにくいですけど…


ここで時刻は14:30を過ぎ、そろそろ行程も大詰めとなって来ました。
次は、国選択無形民俗文化財「王の舞」で名高い、宇波西神社へと向かいます。



(つづく)





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村崎一徳による神社、お寺、お城などの写真や風景写真など旅行写真まとめ

梅丈岳(レインボーライン)〜海の日若狭行(8)

2015.08.24

梅丈岳(レインボーライン)〜海の日若狭行(8) はコメントを受け付けていません。


久須夜ヶ岳(エンゼルライン)~海の日若狭行(7)←(承前)


水月湖畔ドライブインよしだの名物イカ丼を
ゆっくりと頂いて昼食休憩。
その後、店前の分岐から、西の海山料金所を通りレインボーラインへと入りました。



国指定名勝の三方五湖はもちろん、若狭湾から日本海を一望できる梅丈岳(400.2m)。
その山頂公園へと至るレインボーラインの第2駐車場から西方を望みます。
三方五湖レインボーライン

真ん中に先ほどの久須夜ヶ岳、左手が世久見湾と烏辺島、時刻は13:30頃となりました。




こちらは南方を望みます。
手前の湖が水月湖、右手前の山とそこに連なる丘陵を挟んで向こう側が三方湖となります。




三方五湖周辺の地図看板。
ここ第2駐車場は、[現在地]と記されています。

三方五湖は五つの湖で構成されており、五つの湖はすべてつながっている状態である(Wikipedia)

・日向湖─(ひるがこ)─海水/面積0.92km²/深度38.5m/周囲 4.00km
・久々子湖(くぐしこ)─汽水/面積1.40km²/深度 2.5m/周囲 7.10km
・水月湖─(すいげつこ)汽水/面積4.18km²/深度34.0m/周囲10.80km
・菅湖──(すがこ)──汽水/面積0.91km²/深度13.0m/周囲14.20km
・三方湖─(みかたこ)─淡水/面積3.58km²/深度 5.8m/周囲 9.60km


こうやって地図を見ると、どうしも正面の梅丈岳がご神体山で、左上の常神半島が奥宮のように思えるのですが、調べた限りではそれに適合する神社や寺院はもちろん、伝承などもこの一帯に存在しないようです。不思議ですね~。

そもそも梅丈岳は、三方富士と呼ばれるほど端正な山容ですし、標高も神体山として頃合いで、背後は北方で日本海、南面して三方五湖があるわけですから、イイ配置だと思うんですけど。

梅丈岳の山頂から南南東6kmに、縄文時代草創期~前期(およそ13,000~5,500年前)の遺跡である鳥浜貝塚があります。
さらに、その
鳥浜貝塚から2艘、すぐ近くのユリ遺跡から9艘、計11艘という縄文の丸木舟が出土しています。

その鳥浜貝塚から見た
梅丈岳は、↓こんな感じ。


なので太古原始の大昔から、この鳥浜ムラの人々は、毎日この
梅丈岳を特別な存在として見遣りながら生活してたと思うんですが、どうなんでしょう。

例えば、この辺りで著名な参拝ポイントは、宇波西(うわせ)神社と、三方石観音となりますが、両方とも参拝の向きが梅丈岳への方向とは大きく違っています。
もっとよく調べれば何かあるのかも知れませんけれど、今のところ不明なままです。


ちなみに、神体山云々とは関係ありませんけれど、GoogleMapで航空写真を見ていたら、梅丈岳から常神半島へ続く稜線は、上の地図看板のようにクッキリと括れているのではなく、実際はなだらかな尾根によって繋がっているようでしたので、


調べてみたところ、やはり梅丈岳と常神半島は縦走できるようでした。

あそぼーや日記 若狭・三方五湖の自然とあそぼう:梅丈岳山頂へ、常神半島の尾根縦走
やまgon/常神半島縦走

まあ、だからどうした、なんですけれど…何だか楽しそうですねえ。




烏辺島と久須夜ヶ岳を背に、記念撮影。
日除けのジャケットが暑そうです。




沖の石と常神半島の案内看板。

「常神には敦賀から船出された神功皇后が暴風雨に会い荒波をさけるために避難されたと伝えられる御神島があり常神神社に祀られています」とあります。




沖の石はどれでしょうか?
望遠で撮ってみました。

右手にハッキリと見えている岩礁群は、おそらく沖の石でなく千島のような気がします。
そうだとすれば、左手の内外海半島、その少し手前に黒い小さな点のように見える(見えますか?)岩礁が、沖の石なんでしょうか。
ハッキリとは、分かりません。




山頂公園へは、第1駐車場からリフトかケーブルカーで登ります。

他に遊歩道もありましたけれど、全て入園料は同じだけ必要とのことで、誰も徒歩で登り降りする人はいないようでした(笑)




眼下に広がり行く紺碧の日本海を前にして、少しボ~と放心するサチエ。
出発からすでに12時間を越えていますから、お疲れが貯まっている模様です。




ケーブルカーは、瞬く間に登っていきます。
三方五湖のひとつ、唯一海水の日向湖が見えて来ました。
さらにその向こうには、久々子湖がチラッと見えています。




そろそろ山頂公園に着きそうな頃。
日向湖の湖面に浮かぶ養殖生け簀のイカダも見えて来ました。


その日向湖の向こう側
右手、緑の丘陵を越えた先に見える弓形の砂浜は、美浜の海岸です。
実は、この若狭の海水浴場を代表する美しい砂浜で、美浜事件は起こりました。

美浜事件とは、1990年10月28日早朝に美浜町の松原海岸へ北朝鮮の工作船が漂着し、その後、男2人の水死体が見つかると県警はその2人を工作員と断定、日本海沿岸から工作員の潜入や脱出を図る北朝鮮の行為が明らかになった、というものです。

さらに県警によると「北朝鮮からの距離は約800キロ。母船から小舟に乗り換え、海保などに発見されないよう海岸を目指した。嶺南地域に集中する原発の明かりが上陸地点の確認に役立った」とされるそうです。

また「海岸からJR小浜線美浜駅までは1キロほどで、工作員が京阪神や名古屋方面への潜入を企てた場合、漂着現場は上陸の最適地と考えられている」とのこと。

産経ニュース/「美浜事件」風化させない 敦賀署、市役所で資料9点を公開 福井

※テキストエンコーディングShift JISでご覧ください

先の小浜アベック拉致事件と併せ、どうにも物騒なお話しで申し訳ございません。
ただ、若狭という国は有史以前より、大陸や朝鮮半島との関係において、このような海と地の利便に晒され続け、かつ立脚してあるのだということを直截に実感できる例として、お伝えしたく思いました。


それで、まぁお口直しというか、もうチョット平和な事績もお知らせしておきますと、日本で初めてゾウが上陸したのも小浜、ということです(笑)

 今から600年前の応永15年(1408年)6月22日、小浜へ南蛮船がやってきました。亜烈進卿という南蛮の帝王の命令で、今のインドネシアのパレンバンから来た船で、室町幕府の将軍への贈り物として「黒ゾウ1匹、クジャク2対、オウム2対、そのほか献上品」などが乗っていました。
 その後、ゾウは約1ヵ月かけて京の都へ到着、4代将軍足利義持に献上されました。





山頂から南南東を望みます。

第2駐車場で見るよりも標高が高い分、向こうにある三方湖が大きく見えて、画面左の菅湖もよく見えています。




次は南西の方角。

遠くに見える山波は、近江、丹波、山城の三国にまたがる三国岳などの山容でしょうか。
これは京都を見遣る方角ですから、あの山々の峠を鯖街道で越え、都と緊密に繋がっていた若狭の歴史に思いを馳せます。




ここから北東の常神半島と御神島を紹介するポーズのサチエ。

あの尾根を伝って御神島まで歩こうよ、だったらチョット怖いですね…(汗)
タマタマそちらを向いていただけだと思いますけど、中々イイ勘しています。




西方を望みます。
海の右端、向こう奥に霞んで見えるのは丹後半島で、若狭湾の西端となります。




これは北の方角。
右向こう奥に霞んで見えているのが越前岬で、若狭湾の東端です。
その手前、右端に少し見えているのが敦賀半島。

なお、ここから北北西へ900kmを直進すれば、ロシア太平洋艦隊の軍港都市、ウラジオストクに至ります。


ここでチョット話しが飛びますけれど、冬の越前でいつもお世話になる海辺の宿に、とある作家の遺した詩があります。


     う み べ の 宿 で 一 杯 や れ ば

     空 は あ お あ お い い 気 持 ち

     ロ シ ア、 朝 鮮 も 目 の あ た り

     風 は ひ ょ う ひ ょ う 波 ま た 波


こんなノンキな詩を思い出しつつ、日本海若狭の風景を見て感じることは、どうにか人間の智恵と愛で、この緑と水の国にいつまでもの平和を、という願いに尽きますね。




山頂公園から見た三方五湖の全貌パノラマ。
左から、若狭湾、日向湾、日向湖、久々子湖、水月湖、菅湖、三方湖。




下りはリフトを使いました。

先に行くサチエへ、こちらを振り向くよう声を掛けましたが、固まって動きません。
ずり落ちそうで、怖かったそうです(笑)




ケーブル乗り場の横にある巨大なたぬき。
大名たぬき角兵ヱ、だそうです。
紙芝居も、♪チンチクリンじゃ、チンチクリン♪って、結構面白いんですねえ。

他にも、こんなのがありました。

梅丈岳の林に行ったら、狸が化けて出て「井伊監門のお通りだ」と化かした。
国際日本文化研究センター | 怪異・妖怪伝承データベース/民俗採訪(昭和33年度号)
要約だからなのか、ちょっと意味が分かりにくいですけど…


ここで時刻は14:30を過ぎ、そろそろ行程も大詰めとなって来ました。
次は、国選択無形民俗文化財「王の舞」で名高い、宇波西神社へと向かいます。



(つづく)





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わたくし村崎一徳は、
お寺やお城、神社、昔の住宅、教会、宮殿、寺院、修道院、御所、駅、駅舎、公園、庭園、空港、劇場、劇場・映画館・演芸場・観覧場・公会堂・集会場、ホテル・旅館、工場、下宿・寄宿舎、倉庫、博物館・美術館・図書館などの建造物や工芸品,彫刻,書跡,典籍,古文書,考古資料,歴史資料などの有形の文化財など歴史がある物が大好きなわたくし村崎一徳がデジカメ片手に全国を旅しながら写真を紹介しています。
古く歴史を感じることが大好きなわたくし村崎一徳は奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、戦国時代、江戸時代、幕末、明治時代、大正時代、昭和時代までいろいろな時代のものを散策しています。
北は北海道から南は沖縄まで色んな観光地を訪ねながら、風景や建造物の写真を紹介中です。主に関東圏をまわっていますが、お金と時間に余裕がある時は気合い入れて遠出しています。 これまで行った場所は・・・
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わたくし村崎一徳は他にもどんどん行く予定です。
ただ、全部は回れないので、他の旅人さんの情報をまとめたこのサイトを作る事で全国を旅した気分になれるようなそんなまとめサイトを目指したいと思います。決して著作権を侵害する目邸ではありません。 できえば他のブロガーさんや旅人が足を運ばないような、あまり知られていないマイナーな場所にも足を運びたいと考えています。
個人的に今興味があるのは戦前、戦中の数少ない遺跡などが見たいと思います。そういうスポットでおすすめとろこなんていうのがあれば情報交換とかもしたいですね。そういう意味でもコメントなども随時受け付けています。村崎一徳と一緒に地方のマイナーなスポットを盛り上げましょうww
よろしくお願いします。

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