瓜割の滝~海の日若狭行(1)←(承前)




時刻は06:00過ぎですが、遠敷川は深い谷に流れているため、まだ朝陽がここまで届いていません。
何となく薄暗いままです。

けれど早朝にもかかわらず、麓から徒歩でここへ向かっている数人の方がおられました。
元気いっぱいのウオーキングでしょうか、女性3人連れのようでした。




車を駐車場に入れて、鵜の瀬を参拝します。

ここは祠もありますけれど、神社というわけでもなさそうですが、管轄は神宮寺か、若狭彦姫神社なのか、どうにも不明です。




この淵のどこか底に、地下水脈への水中洞穴があるらしいのですが、それがどこなのか知りません。大きな注連縄の下辺りなんでしょうか。

残念ながら「お水送り」には参列したことがありませんので、詳細が分からないことだらけです。
けれど、そこは漠然と遠敷明神が釣りに興じておられる姿など楽しく想像しながら、河原にしゃがんでご健勝をお祈りします。


奈良の東大寺二月堂で毎年3月12日に執り行われる「お水取り」のお香水を、それへ先立つ3月2日に若狭から地下水脈を辿って送るという「お水送り」の儀式が行われる聖地、それがこの鵜の瀬です。
若狭おばま観光協会/お水送り

なので、そのお香水を汲み上げる東大寺の井戸は「若狭井」と呼ばれます。
東大寺/修二会

それではどうして、はるばる若狭小浜の遠敷(おにゅう)から、東大寺までお香水が送られるのかというと、その由来が傑作で私も大好きなお話しなので、ここへWeblio辞書から引用させて頂きます。

Weblio辞書/鵜の瀬(うのせ)
若狭神宮寺に渡ってきたインド僧実忠は、その後東大寺に二月堂を建立し、大仏開眼の2ヶ月前から祈りの行法(修二会)を行った。
初日に「新名帳」を読み上げて日本国中の神々を勧進したが若狭の遠敷明神だけが漁に夢中になって遅れ、あと2日で終わるという日に現れた。
そのお詫びとして、二月堂のご本尊にお供えする「閼伽水」(清浄聖水)を献じる約束をして地面を割ると白と黒の2羽の鵜が飛び出して穴から清水が湧き出した。
若狭の「鵜の瀬」より地下を潜って水を導かせたのである。

漁に夢中の遠敷明神って、ノンキですよね~。
その上、遅刻のお詫びにお水を送るっていうのも、何だかイイ神さまという感じです。

ただ、この由来はおそらく、古来より小浜から東大寺へと様々な文物が送られて来たという比喩なのだろうと思います。

そもそも日本海沿岸というのは、全てが大陸へ向けた玄関口であったわけですし、その中でも小浜湾は、自然の防波堤に囲まれた高潮のない格好の良港であり、対馬から博多という正規外交ルートとは一線を画した国際港でもあったと思います。

さらに小浜は、ひと山越えれば近江の高島へ至近であり、琵琶湖から木津川という水路によって平城京への物流は確保され、鯖街道と呼ばれるようになる陸路のルートも擁しています。

そのため、小浜が今も“海のある奈良”と呼ばれるほどに国宝や重要文化財に満ちているのは、その地の利によって、都との関係が深く長くあったからだと思います。

まして古代の寺院にとっては、それも天皇直轄の総国分寺という東大寺にとっては尚のこと、大陸から輸入される最新極上の経典教理や法具、様々な文物など絶対に必要であったでしょうから、自ら開拓したルートによる仕入れの出来如何によって、自らの権威権勢が大きく左右されただろうと思います。

そこで小浜は、東大寺にとってなくてはならない存在になったと考えられます。

さらに東大寺には、すぐお隣に、長く時の最高権力者であり続けた藤原氏の氏寺である興福寺が先行してありましたから、何としてもそこにだけは負けるわけにいかなかったでしょうし。

ですから政治と謀略に長けた藤原氏に対抗するためにも、東大寺は、聖武天皇自身を始め、インド人である菩提僊那や幼少時に鷲にさらわれたという伝説を持つ出生不明の良弁、渡来人の末裔で僧尼令違犯者の行基と彼に付き従う多くの民衆などなど、とにかく総力戦であらゆる人脈と手段を動員する柔軟性と機動力を、その大仏造立時から持たざるを得なかったように思います。

そのような東大寺が、文物輸入の独自ルートを実忠のプロデュースにより若狭小浜に拓いて以来、その土地と人々を信頼してお互いに活用し、長く緊密に付き合って来たという関係が、752年の創始から“不退の行法”として続けられている「お水取り」の由来へと象徴されているのではないでしょうか。

よって正倉院に納められているお宝の中には、小浜ルートで届けられたものが少なからずあるかと思われます。
東大寺で飛び出した白黒2羽の鵜の意味する所も、実のところシルクロードからもたらされた宝物なのかも知れません…




鵜の瀬を紹介するポーズでサチエの記念写真。




川辺に立って、鵜の気持ちなど想像してるんでしょうか。
ここから地下水脈に入ったら、東大寺に浮かび上がるまで10日は息が出来ないから私には無理かな~、とか?




画面の右上、山の端が少し朝陽に照っています。
もうしばらくしたら、この辺りも明るくなって来るのでしょう。




台風が来てたから、というわけでもなく、私が知る限り遠敷川の水はいつもこんな感じであまり透明感がないような気がします。
けれどネットでは、この遠敷川の水は実によく澄んでいる、という意見もあったりしますので、日によるのかも知れません。

なお、お水送りで送られるお香水はこの川水ではなく、神宮寺の閼伽井戸から汲む湧水となります。
とは言っても、閼伽井戸の湧水は竹筒に汲まれ、この遠敷川へ注がれるのですから、現実には混じってしまう筈なんですが…

また、透明度とは関係ないと思いますけれど、遠敷とはこの辺り一帯の地名で、和銅5年712年までは小丹生と書かれていたそうで、丹生という字が入っているということは、もともと丹砂(硫化水銀)が採れていた地域のようです。

ちなみに、「二羽の鵜とは丹生」という説があります。
坂東千年王国/丹伝説外伝/「お水送り」と「お水取り」
※テキストエンコーディングShift JISでご覧ください




まあ、実際に水の混濁や行方がどうであれ、この素晴らしい山水の偉容が今に至るまで守られて来たことに感謝、です。




岩との保護色で見えにくいですが、小さな雨蛙がじっと坐っています。




川辺の祠と鳥居。
遠敷川の淵そのものが本殿とすれば、こちらは拝殿という役割でしょうか。

特に神名なども書かれていませんのでよく分からないのですが、祠の横へさらに鳥居があり、その奥がより神聖であるとすれば、そんな感じかと思っています。




空はもう輝いていますけれど、山に遮られてまだ太陽が姿を現しません。
時刻は06:30頃。




鵜の瀬からいったん出て、少しだけ上流にある白石神社へと歩いて向かいます。




遠敷川にかかる木製の橋の上で記念撮影。

画面の右手、木々の向こうに鵜の瀬公園資料館があります。




橋を渡った先の突き当たり左手に「良辨和尚 生誕之地」石碑。




石碑の案内板。

東大寺開山の良弁和尚が、この小浜は下根来(しもねごり)の生まれだと石碑の通り解説されていますけれど、これがどのような文献・資料に拠るのかが不明です。

一般には、相模国か近江国と言われているそうですが、確かなことは分からないようで、残念。





白石神社。
神宮寺の由来書に「この地方を拓き国造りした祖先が、遠敷明神(若狭彦命)で、その発祥地が根来の白石」とあります。

この白石神社は、若狭彦神社の境外末社で若狭彦神社奥宮でもあり、若狭彦神社祭神降臨の創祀社とされているそうです。

小屋みたいに見えるのは雪除けの覆い屋で、中に祠があります。




何だかすごいジャングルみたいな杜ですが、ここには椿が群生しており、小浜市指定の天然記念物だそうです。
見頃は3月下旬とのこと。




いつも来るのが雪の季節でしたから、ここへ辿り着くには相当の手間がかかりました。

とにかく普段はほとんど誰も参拝しないようなので、降り積もった雪に踏み後が一切ありませんから、足が太股まで雪に埋まる中を漕ぐように前進しなければなりません。

また、この石段が雪に埋まって全く見えずに、どこへ足を運んでよいか分からないまま、踏み外すと腰の辺りまで雪に沈んでしまいます。

夏に来て本当に良かったと思いました(笑)




白石神社の参拝を終えて、橋の上から遠敷川の上流を望みます。

次はこの方向へ、「お水送り」での山八神事が行われる下根来の八幡宮へと向かいます。



(つづく)→ 下根来八幡宮~海の日若狭行(3)





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村崎一徳による神社、お寺、お城などの写真や風景写真など旅行写真まとめ

鵜の瀬〜海の日若狭行(2)

2015.07.31

鵜の瀬〜海の日若狭行(2) はコメントを受け付けていません。


瓜割の滝~海の日若狭行(1)←(承前)




時刻は06:00過ぎですが、遠敷川は深い谷に流れているため、まだ朝陽がここまで届いていません。
何となく薄暗いままです。

けれど早朝にもかかわらず、麓から徒歩でここへ向かっている数人の方がおられました。
元気いっぱいのウオーキングでしょうか、女性3人連れのようでした。




車を駐車場に入れて、鵜の瀬を参拝します。

ここは祠もありますけれど、神社というわけでもなさそうですが、管轄は神宮寺か、若狭彦姫神社なのか、どうにも不明です。




この淵のどこか底に、地下水脈への水中洞穴があるらしいのですが、それがどこなのか知りません。大きな注連縄の下辺りなんでしょうか。

残念ながら「お水送り」には参列したことがありませんので、詳細が分からないことだらけです。
けれど、そこは漠然と遠敷明神が釣りに興じておられる姿など楽しく想像しながら、河原にしゃがんでご健勝をお祈りします。


奈良の東大寺二月堂で毎年3月12日に執り行われる「お水取り」のお香水を、それへ先立つ3月2日に若狭から地下水脈を辿って送るという「お水送り」の儀式が行われる聖地、それがこの鵜の瀬です。
若狭おばま観光協会/お水送り

なので、そのお香水を汲み上げる東大寺の井戸は「若狭井」と呼ばれます。
東大寺/修二会

それではどうして、はるばる若狭小浜の遠敷(おにゅう)から、東大寺までお香水が送られるのかというと、その由来が傑作で私も大好きなお話しなので、ここへWeblio辞書から引用させて頂きます。

Weblio辞書/鵜の瀬(うのせ)
若狭神宮寺に渡ってきたインド僧実忠は、その後東大寺に二月堂を建立し、大仏開眼の2ヶ月前から祈りの行法(修二会)を行った。
初日に「新名帳」を読み上げて日本国中の神々を勧進したが若狭の遠敷明神だけが漁に夢中になって遅れ、あと2日で終わるという日に現れた。
そのお詫びとして、二月堂のご本尊にお供えする「閼伽水」(清浄聖水)を献じる約束をして地面を割ると白と黒の2羽の鵜が飛び出して穴から清水が湧き出した。
若狭の「鵜の瀬」より地下を潜って水を導かせたのである。

漁に夢中の遠敷明神って、ノンキですよね~。
その上、遅刻のお詫びにお水を送るっていうのも、何だかイイ神さまという感じです。

ただ、この由来はおそらく、古来より小浜から東大寺へと様々な文物が送られて来たという比喩なのだろうと思います。

そもそも日本海沿岸というのは、全てが大陸へ向けた玄関口であったわけですし、その中でも小浜湾は、自然の防波堤に囲まれた高潮のない格好の良港であり、対馬から博多という正規外交ルートとは一線を画した国際港でもあったと思います。

さらに小浜は、ひと山越えれば近江の高島へ至近であり、琵琶湖から木津川という水路によって平城京への物流は確保され、鯖街道と呼ばれるようになる陸路のルートも擁しています。

そのため、小浜が今も“海のある奈良”と呼ばれるほどに国宝や重要文化財に満ちているのは、その地の利によって、都との関係が深く長くあったからだと思います。

まして古代の寺院にとっては、それも天皇直轄の総国分寺という東大寺にとっては尚のこと、大陸から輸入される最新極上の経典教理や法具、様々な文物など絶対に必要であったでしょうから、自ら開拓したルートによる仕入れの出来如何によって、自らの権威権勢が大きく左右されただろうと思います。

そこで小浜は、東大寺にとってなくてはならない存在になったと考えられます。

さらに東大寺には、すぐお隣に、長く時の最高権力者であり続けた藤原氏の氏寺である興福寺が先行してありましたから、何としてもそこにだけは負けるわけにいかなかったでしょうし。

ですから政治と謀略に長けた藤原氏に対抗するためにも、東大寺は、聖武天皇自身を始め、インド人である菩提僊那や幼少時に鷲にさらわれたという伝説を持つ出生不明の良弁、渡来人の末裔で僧尼令違犯者の行基と彼に付き従う多くの民衆などなど、とにかく総力戦であらゆる人脈と手段を動員する柔軟性と機動力を、その大仏造立時から持たざるを得なかったように思います。

そのような東大寺が、文物輸入の独自ルートを実忠のプロデュースにより若狭小浜に拓いて以来、その土地と人々を信頼してお互いに活用し、長く緊密に付き合って来たという関係が、752年の創始から“不退の行法”として続けられている「お水取り」の由来へと象徴されているのではないでしょうか。

よって正倉院に納められているお宝の中には、小浜ルートで届けられたものが少なからずあるかと思われます。
東大寺で飛び出した白黒2羽の鵜の意味する所も、実のところシルクロードからもたらされた宝物なのかも知れません…




鵜の瀬を紹介するポーズでサチエの記念写真。




川辺に立って、鵜の気持ちなど想像してるんでしょうか。
ここから地下水脈に入ったら、東大寺に浮かび上がるまで10日は息が出来ないから私には無理かな~、とか?




画面の右上、山の端が少し朝陽に照っています。
もうしばらくしたら、この辺りも明るくなって来るのでしょう。




台風が来てたから、というわけでもなく、私が知る限り遠敷川の水はいつもこんな感じであまり透明感がないような気がします。
けれどネットでは、この遠敷川の水は実によく澄んでいる、という意見もあったりしますので、日によるのかも知れません。

なお、お水送りで送られるお香水はこの川水ではなく、神宮寺の閼伽井戸から汲む湧水となります。
とは言っても、閼伽井戸の湧水は竹筒に汲まれ、この遠敷川へ注がれるのですから、現実には混じってしまう筈なんですが…

また、透明度とは関係ないと思いますけれど、遠敷とはこの辺り一帯の地名で、和銅5年712年までは小丹生と書かれていたそうで、丹生という字が入っているということは、もともと丹砂(硫化水銀)が採れていた地域のようです。

ちなみに、「二羽の鵜とは丹生」という説があります。
坂東千年王国/丹伝説外伝/「お水送り」と「お水取り」
※テキストエンコーディングShift JISでご覧ください




まあ、実際に水の混濁や行方がどうであれ、この素晴らしい山水の偉容が今に至るまで守られて来たことに感謝、です。




岩との保護色で見えにくいですが、小さな雨蛙がじっと坐っています。




川辺の祠と鳥居。
遠敷川の淵そのものが本殿とすれば、こちらは拝殿という役割でしょうか。

特に神名なども書かれていませんのでよく分からないのですが、祠の横へさらに鳥居があり、その奥がより神聖であるとすれば、そんな感じかと思っています。




空はもう輝いていますけれど、山に遮られてまだ太陽が姿を現しません。
時刻は06:30頃。




鵜の瀬からいったん出て、少しだけ上流にある白石神社へと歩いて向かいます。




遠敷川にかかる木製の橋の上で記念撮影。

画面の右手、木々の向こうに鵜の瀬公園資料館があります。




橋を渡った先の突き当たり左手に「良辨和尚 生誕之地」石碑。




石碑の案内板。

東大寺開山の良弁和尚が、この小浜は下根来(しもねごり)の生まれだと石碑の通り解説されていますけれど、これがどのような文献・資料に拠るのかが不明です。

一般には、相模国か近江国と言われているそうですが、確かなことは分からないようで、残念。





白石神社。
神宮寺の由来書に「この地方を拓き国造りした祖先が、遠敷明神(若狭彦命)で、その発祥地が根来の白石」とあります。

この白石神社は、若狭彦神社の境外末社で若狭彦神社奥宮でもあり、若狭彦神社祭神降臨の創祀社とされているそうです。

小屋みたいに見えるのは雪除けの覆い屋で、中に祠があります。




何だかすごいジャングルみたいな杜ですが、ここには椿が群生しており、小浜市指定の天然記念物だそうです。
見頃は3月下旬とのこと。




いつも来るのが雪の季節でしたから、ここへ辿り着くには相当の手間がかかりました。

とにかく普段はほとんど誰も参拝しないようなので、降り積もった雪に踏み後が一切ありませんから、足が太股まで雪に埋まる中を漕ぐように前進しなければなりません。

また、この石段が雪に埋まって全く見えずに、どこへ足を運んでよいか分からないまま、踏み外すと腰の辺りまで雪に沈んでしまいます。

夏に来て本当に良かったと思いました(笑)




白石神社の参拝を終えて、橋の上から遠敷川の上流を望みます。

次はこの方向へ、「お水送り」での山八神事が行われる下根来の八幡宮へと向かいます。



(つづく)→ 下根来八幡宮~海の日若狭行(3)





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村崎一徳について
わたくし村崎一徳は、
お寺やお城、神社、昔の住宅、教会、宮殿、寺院、修道院、御所、駅、駅舎、公園、庭園、空港、劇場、劇場・映画館・演芸場・観覧場・公会堂・集会場、ホテル・旅館、工場、下宿・寄宿舎、倉庫、博物館・美術館・図書館などの建造物や工芸品,彫刻,書跡,典籍,古文書,考古資料,歴史資料などの有形の文化財など歴史がある物が大好きなわたくし村崎一徳がデジカメ片手に全国を旅しながら写真を紹介しています。
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北は北海道から南は沖縄まで色んな観光地を訪ねながら、風景や建造物の写真を紹介中です。主に関東圏をまわっていますが、お金と時間に余裕がある時は気合い入れて遠出しています。 これまで行った場所は・・・
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わたくし村崎一徳は他にもどんどん行く予定です。
ただ、全部は回れないので、他の旅人さんの情報をまとめたこのサイトを作る事で全国を旅した気分になれるようなそんなまとめサイトを目指したいと思います。決して著作権を侵害する目邸ではありません。 できえば他のブロガーさんや旅人が足を運ばないような、あまり知られていないマイナーな場所にも足を運びたいと考えています。
個人的に今興味があるのは戦前、戦中の数少ない遺跡などが見たいと思います。そういうスポットでおすすめとろこなんていうのがあれば情報交換とかもしたいですね。そういう意味でもコメントなども随時受け付けています。村崎一徳と一緒に地方のマイナーなスポットを盛り上げましょうww
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