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天性寺 中将姫ゆかりの寺

2016.02.16

天性寺 中将姫ゆかりの寺 はコメントを受け付けていません。

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

寺町商店街の本能寺の南に天性寺があります。お店の間にぽっかりとスペースが空いて参道が東に延びています。

「天性寺」は、山号を曼茶羅山、院号を當麻院という浄土宗総本山知恩院の末寺です。

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天性寺は、安土・桃山時代の天正5年(1577)大和当麻寺の眼誉道三により、「中将姫(ちゅうじょうひめ)」の遺徳をしのんで創建されました。(境内が東に低くなっているのはかって鴨川の河原だった名残だそうです。)

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この寺の由緒は中将姫の物語にかかわっています。中将姫(747-775)は、奈良の当麻寺に伝わる当麻曼荼羅(国宝)を織ったとされる伝説上の人物で、その物語は平安時代中頃から世間に広まり、様々な戯曲の題材となりました。

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藤原鎌足の曾孫の右大臣藤原豊成とその妻の間には長い間子どもができず、桜井の長谷寺の観音に祈願して中将姫を授かりました。しかし、母親は娘が5歳の時に亡くなり、7歳の時に豊成は橘諸房の娘である照夜の前を後妻に迎えます。

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中将姫は美貌と才能に恵まれ、9歳の時には孝謙天皇に召し出されて百官の前で琴を演奏して賞賛されます。13歳の時には三位中将の位を持つ内侍となりました。しかし、継母に憎まれるようになり、盗みの疑いをかけられて折檻などの虐待を受けました。

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14歳の時、豊成が諸国巡視の旅に出かけると、照夜の前は家臣に中将姫の殺害を命じました。しかし、亡き実母への供養をして極楽浄土へ召されることを祈り読経を続ける中将姫を殺すことができず、雲雀山の青蓮寺 (宇陀市)にかくまいました。(本堂)

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翌年豊成が見つけて連れ戻し、中将姫は1000巻の写経を成しとげたそうです。(本尊として阿弥陀如来を祀っています。)

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16歳の時、淳仁天皇より後宮へ入るように望まれるが断り、その後二上山の山麓にある当麻寺に入り尼となり、法如という戒名を授かりました。

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26歳のとき、長谷観音のお告げで当麻曼荼羅を織り上げました。仏行に励んだ徳によって仏の助力を得て一夜で蓮糸の当麻曼荼羅(観無量寿経の曼荼羅)を織ったとされます。(弁財天社)

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29歳で亡くなりますが、このときは阿弥陀如来を始めとする二十五菩薩が来迎して生きたまま西方極楽浄土に向かったといわれています。

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以上は伝説として伝わっている話ですが、藤原豊成は実在の人物で、その娘や実母、継母の存在については様々な説があるそうです。各地に中将姫についての具体的な言い伝えが残っているので、モデルとなる女性が実在したのかも知れません。

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開祖・眼誉は、模した当麻曼荼羅を用いて浄土の世界を示し釈迦の教えを説いたといいます。天性寺は、当初当麻町(上京区曼茶羅町)にあったとされます。(境内の東北には墓地があります。)

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安土桃山時代の1587年に豊臣秀吉により現在地に移転させられました。また、江戸時代になって天明の大火(1788年)で焼失しましたが、文化年間(1804-1818)に再建されました。(延命地蔵大菩薩を祀っています。)

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明治13年(1880)に現在の本堂、昭和31年(1956)に山門が再建されました。

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歴代住持の墓

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江戸時代に真鍮の製造法を発明して真鍮祖神といわれた「藤左衛門」の墓があります。 その他、江戸時代の画家・原在中一族の墓や四条派画家・横山清暉の墓などもあります。

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「碁盤目に 世界の京として 灯里」紅寿 

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賑やかな寺町商店街にあるとは思えないほど静かな世界でした。

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