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本能寺 受難と再建の歴史 

2016.02.15

本能寺 受難と再建の歴史  はコメントを受け付けていません。

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

寺町通のお寺を巡り御池通に来ました。通りの向こうの「寺町通商店街」の入口近くに本能寺があります。

「本能寺」は室町時代の応永22年(1415)日隆上人によって創建された「本応寺」が始まりで、法華宗本門流の大本山です。

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日隆は伯父にあたる日存・日道両上人と共に妙本寺(現在の妙顕寺)の綱紀の粛清に務めましたが志を遂げられず同寺を去りました。そして、油小路高辻と五条坊門の間に「本応寺」を建立して、日蓮上人の教えである法華経の題目を人々に唱えさせるべく布教を始めました。

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本応寺は1418年に妙本寺の教徒によって破却されますが、1429年に豪商の小袖屋宗句の援助により内野(現在の西陣あたり)に再建されました。

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1433には信者の如意王丸を願主にして六角大宮に再建され、本能寺と改名しました。しかしながら、1536年の「天文法華の乱」で、守護六角氏らの近江軍に対して2万の兵で対抗しましたが、伽藍は焼失してしまいました。(表門前の日蓮上人像)

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1545年に日承上人(第8代貫首)が四条西洞院に本能寺を再建し、延暦寺との和議も成立して、七堂伽藍、厩屋、多くの子院が建ち並ぶ壮大な堂宇が築かれました。(場所を変わって、こちらが当時の本能寺跡)

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当時は周囲から隔絶された東西約140メートル南北約270メートルという広大な敷地に、幅約2~4m深さ約1mの堀、0.8メートルの石垣とその上の土居に囲まれ、防御面にも配慮された城塞のような造りだったそうです。

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織田信長の仮宿所になっていましたが、1582年の本能寺の変で明智光秀軍に襲撃されて焼失、信長は自害してしまいました。(当時の本能寺の中心部分には高齢者福祉施設が建っています。)

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1589年に日衍(にちえん)上人(第14代貫首)によって再建されましたが、豊臣秀吉によって現在地の寺町御池に移転が命じられ、ここに堂宇が完成したのは1592年だったそうです。(山門を入って右にある宝物館「大宝殿」)

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1788年の「天明の大火」、1864年の「蛤御門の変」でそれぞれ焼失しました。さらに、明治政府による上知令によって境内地の大半を失いました。(左には方丈・寺務所)

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現本堂は、工学博士天沼俊一の設計により、室町時代の枠を集めた木造大建築である創立当時の姿を再現したものです。左の建物は本能寺文化会館(ホテル、貸室など)です。

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本尊として「十界大曼荼羅」を祀っています。

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内部は撮影できません。

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本堂の左手前に小さな庭があります。左に見える「臥牛石」は加藤清正が寄進したもの。

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境内の南には七つの塔頭寺院が並んでいます。

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境内の南東隅にある「火伏せのイチョウ」 天明の大火で市中が猛火に襲われたとき水を吹き出し、身を寄せていた人々を救ったといいます。また、蛤御門の変のときも水を吹き出し、下にある塔頭・龍雲院だけが類焼を免れたといいます(京都市指定保存樹)。、

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拝殿「信長公廟」 1582年に信長の三男・信孝が建立した供養塔です。

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供養塔には信長が所持していた太刀が納められています。また、本能寺の変で戦死した側近115名の供養塔もあります。

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本堂の裏(東)には本能寺ゆかりの人々の墓(供養塔)が並んでいます。「浦上玉堂、春琴廟」 玉堂・春琴父子は、江戸時代の文人画家で、学問、詩文、七絃琴などにも秀でていました。 

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「宗祖日蓮大菩薩御廟」 左右に開祖・日隆上人など歴代住持の墓が並んでいます。

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境内の一番奥(東北隅)には「日承王墓」があります(ここは宮内庁管轄)。日承上人は後伏見天皇7世皇孫で、幼少で入寺して1543年第8世貫主となり、本能寺を現在地に再興しました。

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日が傾いてきました。午後5時の閉門間際になると急に人が増えてきました(TOPの写真)。

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