黄泉がえりの聖地に神留る揖夜神社~初夏出雲行(35)←(承前)





黄泉比良坂の千引石(ちびきのいわ)。

千人の人の力でようやく引けるような大きな岩。 

境を示す石。 

記紀神話では、伊耶那岐が黄泉の国から逃げ帰る時に、千引の岩で黄泉平坂を塞いで、「絶妻誓」を言い渡したという。   

記では、黄泉国の坂を塞いだ岩を「道返の大神」、塞いでおられる「黄泉戸大神」と言い、紀では、千引の石を「泉門塞の大神」または「道返大神」と言う。 

このように、記紀では「千引の石」を以て葦原中国と黄泉国との境界を示し、また道返の大神などと名付けているが、これは石が塞神(道祖神)であるという信仰に基づくと思われる。 

・・國學院大學/國學院デジタルミュージアム/万葉神事語辞典/Chibikinoiwa


けれども、この岩はあくまで見本というか代用というか、本物ではありません(笑)


前は、この『神蹟黄泉平良坂伊賦夜坂傳説地』の石碑があっただけで、    

30年くらい前にそれっぽい雰囲気の大きな岩をもってきたそう。 

・・4travel.jp/「あなたは誰に逢いたいですか…」~東出雲巡り~伊賦夜坂(黄泉比良坂)


確かに、道を塞いでもいませんし。orz

Wikipedia/黄泉比良坂





やまももの木。 
3つ並んだ岩の右端、角張ったものの手前に立っています。





やまももの木、案内板。

「汝(なれ)、吾(あれ)を助けしが如(ごと)く、葦原中国(あしはらのなかつくに)に有らゆるうつしき青人草(あおひとくさ)の、苦しき瀬に落ちて、患(うれ)へ愡(なや)む時に助くべし」    

神話で、伊邪那岐命が黄泉比良坂のふもとに生えていた桃の実三つを取り、追いかけてきた黄泉の軍に投げつけると、桃の呪力を受けて黄泉の軍は引き返していきました。
そこで、伊邪那岐命は「桃の実よ、私を助けたように、この世に生きるあらゆる人々が苦しみの流れに流されて悩みごとに呆然となるときに助けてやってくれ」と告げ、桃に意富加牟豆美命(おおかむずみのみこと)の名を与えました。
この桃の木は、原種の桃と同種の「オハツモモ」です。



 

しま爺の平成夜話 /【サクランボの日特集】江戸時代のフルーツ  

GKZ 植物事典/オハツモモ





駐車場の黄泉比良坂案内板にあったイラスト。 
イザナギが桃の実を3個投げると、黄泉国の軍勢は退散したとのこと。


それにしてもイザナギのピッチングフォームが、なかなかスマートな現代風です(笑)





小さな池。 
ちょっと淀んだ感じですが。


この辺り、写真だけでは位置関係が分かりにくいと思いますので、Google Mapを貼っておきます。 
マウスで全方位に移動できますから、ご参照くださいませ。



駐車場もありますし、車でも行きやすい場所です。 
まるで公園みたいですけれど(苦笑)



それと、揖夜神社との位置関係は↓このようなことです。


東出雲まちの駅女寅/神話をめぐるアクセスマップ/普通車・マイクロバスで回るコース

 




この先 賽の神    

この小道 伊賦夜坂 


賽の神とは、道祖神の原型とされる岐の神(くなどのかみ)と、賽の河原という概念が混淆したイメージでしょうか。



また、黄泉比良坂は古事記での名で、伊賦夜坂は出雲の地名。

其の謂はゆる黄泉比良坂は、今、出雲国の伊賦夜坂と謂ふ 

と原典である古事記において、出雲の伊賦夜坂が黄泉比良坂に比定された、ということになります。


それなら、そもそも古事記で黄泉比良坂と称さずに、ハナから伊賦夜坂で良かったんじゃないの、と思いますけれど、やはり黄泉という名で意味を表すことが必要だったのかも知れません。


あるいは、神話における黄泉比良坂を、後にどうしても出雲としたい理由が出来てしまい、後付けしたのかもですけれど。





黄泉比良坂の案内看板。

黄泉比良坂は、『古事記』に登場する坂です。    

伊邪那岐命が黄泉国から還ろうとしたとき、追って来る悪霊邪鬼を桃子で撃退した坂であり、大穴牟遅神(後の大国主神)が黄泉国で須佐之男命の課す様々な試練を克服し、妻の須勢理毘売と共に還ろうとしたとき、須佐之男命が追い至って、大国主神の名を与え国作りを託したのもこの坂です。   
その場所については「故、其のいわゆる黄泉比良坂は、今、出雲国の伊賦夜坂と謂ふなり」と記しています。   
碑の西方の山道がこの伊賦夜坂と言われており、途中に賽の神が祀ってあります。『日本書紀』に、伊弉諾尊が黄泉比良坂で「ここから入って来てはならぬ」と言って投げた杖から出現した神であると記されています。地元では、この道を通るときは賽の神小石を積んで通るという風習があり、今でも小さな石が積まれています。 


日本神話・神社まとめ/第五段一書(六)-3 千人殺し、千五百人生ませる

イザナミは言いました。「愛おしい私の夫(イザナギ)が『別れる!』と言うのであれば、私はこれから毎日、あなたの治める国の千人の人間の首を絞め殺してやりましょう!」     

するとイザナギは「愛おしい私の妻よ。おまえがそう言うならば、私は一日に千五百人を生ませよう」と答えました。    
それで「ここから先に来てはいけない」と言い、杖を投げました。この杖が岐神(フナド)となりました。  


Wikipedia/岐の神

「くなど」は「来な処」すなわち「きてはならない所」の意味。 
もとは、道の分岐点、峠、あるいは村境などで、外からの外敵や悪霊の侵入をふせぐ神であり、道祖神の原型とされる。 
読みをふなと、ふなど -のかみともされるのは、「フ」の音が「ク」の音と互いに転じやすいためとする説がある。 
以下のように、意味から転じた読みが多い。 
岐(ちまた、巷、衢とも書く)または辻(つじ)におわすとの意味で、巷の神(ちまたのかみ)または辻の神(つじのかみ)、峠の神、みちのかみとも言う。 
また、障害や災難から村人を防ぐとの意味で、さえ、さい -のかみ(障の神、塞の神)、さらに「塞ぐ」の意味から転じて生殖の神、縁結びの神、手向けの神の意味を併せるところもある。 


Wikipedia/道祖神

道祖神は、厄災の侵入防止や子孫繁栄等を祈願するために村の守り神として主に道の辻に祀られている民間信仰の石仏であり、自然石・五輪塔もしくは石碑・石像等の形状である。 
全国的に広い分布をしているが、出雲神話の故郷である島根県には少ない。 

 

Wikipedia/三途川

三途川(さんずのかわ、さんずがわ)は、此岸(現世)と彼岸(あの世)を分ける境目にあるとされる川。 


Wikipedia/三途川/賽の河原

三途川の河原は「賽の河原」(さいのかわら)と呼ばれる(「賽の河原」と呼ばれる場所も、後述の恐山のものをはじめとして、日本各地に存在する)。
仏教の地蔵信仰と民俗的な道祖神である賽(さえ)の神が習合したものであるというのが通説である。 





賽の神へと向けて、伊賦夜坂に入っていきます。





鬱蒼とした雑木林が続きます。





ズイズイと進みます。





まだまだ進みます。 
木漏れ日に、ふと気になって時計を見ると16:00を過ぎていました。


この辺りから、少し焦り気味となります(苦笑)





あれが峠か、という頃。 
けれど歩き始めてから、まだ2~3分ほど。





山頂方面へ向かう横道を発見し、行ってみることに。





けれど残念ながら、道は消えて行き止まりです。





後ろを振り返るとサチエが付いて来ていました。





何と、気付かないうちにMさんもすぐ後ろに。





山、というか丘を、もと来た方へと下ります。





そろそろ、皆の疲れもピークの頃。





来た道を引き返すと、賽の神がおられました。 
分かりにくいですけれど、写真の左下です。





賽の神、アップ。

それでも分かりにくいので、こちらを↓ご参照ください。


GoogleMap/松江市観光振興部+黄泉比良坂/さかきばらたけし



けれど、上の写真と同じ処でしょうか?? 
ちょっと違うような…

 

ともあれ、伊賦夜坂はここまでとして引き返します。





そろそろ太陽の光が、かなり斜めになってきました。





森の出口近くには、シダが群生しています。



これにて、この日の巡拝は完了しました。

ここから一気に中海の大根島から江島、そして弓ヶ浜半島の境港を経由して、島根半島東端の美保関へと進みます。



(つづく)




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村崎一徳による神社、お寺、お城などの写真や風景写真など旅行写真まとめ

黄泉比良坂であの世への境界を彷徨う〜初夏出雲行(36)

2016.02.09

黄泉比良坂であの世への境界を彷徨う〜初夏出雲行(36) はコメントを受け付けていません。


黄泉がえりの聖地に神留る揖夜神社~初夏出雲行(35)←(承前)





黄泉比良坂の千引石(ちびきのいわ)。

千人の人の力でようやく引けるような大きな岩。 

境を示す石。 

記紀神話では、伊耶那岐が黄泉の国から逃げ帰る時に、千引の岩で黄泉平坂を塞いで、「絶妻誓」を言い渡したという。   

記では、黄泉国の坂を塞いだ岩を「道返の大神」、塞いでおられる「黄泉戸大神」と言い、紀では、千引の石を「泉門塞の大神」または「道返大神」と言う。 

このように、記紀では「千引の石」を以て葦原中国と黄泉国との境界を示し、また道返の大神などと名付けているが、これは石が塞神(道祖神)であるという信仰に基づくと思われる。 

・・國學院大學/國學院デジタルミュージアム/万葉神事語辞典/Chibikinoiwa


けれども、この岩はあくまで見本というか代用というか、本物ではありません(笑)


前は、この『神蹟黄泉平良坂伊賦夜坂傳説地』の石碑があっただけで、    

30年くらい前にそれっぽい雰囲気の大きな岩をもってきたそう。 

・・4travel.jp/「あなたは誰に逢いたいですか…」~東出雲巡り~伊賦夜坂(黄泉比良坂)


確かに、道を塞いでもいませんし。orz

Wikipedia/黄泉比良坂





やまももの木。 
3つ並んだ岩の右端、角張ったものの手前に立っています。





やまももの木、案内板。

「汝(なれ)、吾(あれ)を助けしが如(ごと)く、葦原中国(あしはらのなかつくに)に有らゆるうつしき青人草(あおひとくさ)の、苦しき瀬に落ちて、患(うれ)へ愡(なや)む時に助くべし」    

神話で、伊邪那岐命が黄泉比良坂のふもとに生えていた桃の実三つを取り、追いかけてきた黄泉の軍に投げつけると、桃の呪力を受けて黄泉の軍は引き返していきました。
そこで、伊邪那岐命は「桃の実よ、私を助けたように、この世に生きるあらゆる人々が苦しみの流れに流されて悩みごとに呆然となるときに助けてやってくれ」と告げ、桃に意富加牟豆美命(おおかむずみのみこと)の名を与えました。
この桃の木は、原種の桃と同種の「オハツモモ」です。



 

しま爺の平成夜話 /【サクランボの日特集】江戸時代のフルーツ  

GKZ 植物事典/オハツモモ





駐車場の黄泉比良坂案内板にあったイラスト。 
イザナギが桃の実を3個投げると、黄泉国の軍勢は退散したとのこと。


それにしてもイザナギのピッチングフォームが、なかなかスマートな現代風です(笑)





小さな池。 
ちょっと淀んだ感じですが。


この辺り、写真だけでは位置関係が分かりにくいと思いますので、Google Mapを貼っておきます。 
マウスで全方位に移動できますから、ご参照くださいませ。



駐車場もありますし、車でも行きやすい場所です。 
まるで公園みたいですけれど(苦笑)



それと、揖夜神社との位置関係は↓このようなことです。


東出雲まちの駅女寅/神話をめぐるアクセスマップ/普通車・マイクロバスで回るコース

 




この先 賽の神    

この小道 伊賦夜坂 


賽の神とは、道祖神の原型とされる岐の神(くなどのかみ)と、賽の河原という概念が混淆したイメージでしょうか。



また、黄泉比良坂は古事記での名で、伊賦夜坂は出雲の地名。

其の謂はゆる黄泉比良坂は、今、出雲国の伊賦夜坂と謂ふ 

と原典である古事記において、出雲の伊賦夜坂が黄泉比良坂に比定された、ということになります。


それなら、そもそも古事記で黄泉比良坂と称さずに、ハナから伊賦夜坂で良かったんじゃないの、と思いますけれど、やはり黄泉という名で意味を表すことが必要だったのかも知れません。


あるいは、神話における黄泉比良坂を、後にどうしても出雲としたい理由が出来てしまい、後付けしたのかもですけれど。





黄泉比良坂の案内看板。

黄泉比良坂は、『古事記』に登場する坂です。    

伊邪那岐命が黄泉国から還ろうとしたとき、追って来る悪霊邪鬼を桃子で撃退した坂であり、大穴牟遅神(後の大国主神)が黄泉国で須佐之男命の課す様々な試練を克服し、妻の須勢理毘売と共に還ろうとしたとき、須佐之男命が追い至って、大国主神の名を与え国作りを託したのもこの坂です。   
その場所については「故、其のいわゆる黄泉比良坂は、今、出雲国の伊賦夜坂と謂ふなり」と記しています。   
碑の西方の山道がこの伊賦夜坂と言われており、途中に賽の神が祀ってあります。『日本書紀』に、伊弉諾尊が黄泉比良坂で「ここから入って来てはならぬ」と言って投げた杖から出現した神であると記されています。地元では、この道を通るときは賽の神小石を積んで通るという風習があり、今でも小さな石が積まれています。 


日本神話・神社まとめ/第五段一書(六)-3 千人殺し、千五百人生ませる

イザナミは言いました。「愛おしい私の夫(イザナギ)が『別れる!』と言うのであれば、私はこれから毎日、あなたの治める国の千人の人間の首を絞め殺してやりましょう!」     

するとイザナギは「愛おしい私の妻よ。おまえがそう言うならば、私は一日に千五百人を生ませよう」と答えました。    
それで「ここから先に来てはいけない」と言い、杖を投げました。この杖が岐神(フナド)となりました。  


Wikipedia/岐の神

「くなど」は「来な処」すなわち「きてはならない所」の意味。 
もとは、道の分岐点、峠、あるいは村境などで、外からの外敵や悪霊の侵入をふせぐ神であり、道祖神の原型とされる。 
読みをふなと、ふなど -のかみともされるのは、「フ」の音が「ク」の音と互いに転じやすいためとする説がある。 
以下のように、意味から転じた読みが多い。 
岐(ちまた、巷、衢とも書く)または辻(つじ)におわすとの意味で、巷の神(ちまたのかみ)または辻の神(つじのかみ)、峠の神、みちのかみとも言う。 
また、障害や災難から村人を防ぐとの意味で、さえ、さい -のかみ(障の神、塞の神)、さらに「塞ぐ」の意味から転じて生殖の神、縁結びの神、手向けの神の意味を併せるところもある。 


Wikipedia/道祖神

道祖神は、厄災の侵入防止や子孫繁栄等を祈願するために村の守り神として主に道の辻に祀られている民間信仰の石仏であり、自然石・五輪塔もしくは石碑・石像等の形状である。 
全国的に広い分布をしているが、出雲神話の故郷である島根県には少ない。 

 

Wikipedia/三途川

三途川(さんずのかわ、さんずがわ)は、此岸(現世)と彼岸(あの世)を分ける境目にあるとされる川。 


Wikipedia/三途川/賽の河原

三途川の河原は「賽の河原」(さいのかわら)と呼ばれる(「賽の河原」と呼ばれる場所も、後述の恐山のものをはじめとして、日本各地に存在する)。
仏教の地蔵信仰と民俗的な道祖神である賽(さえ)の神が習合したものであるというのが通説である。 





賽の神へと向けて、伊賦夜坂に入っていきます。





鬱蒼とした雑木林が続きます。





ズイズイと進みます。





まだまだ進みます。 
木漏れ日に、ふと気になって時計を見ると16:00を過ぎていました。


この辺りから、少し焦り気味となります(苦笑)





あれが峠か、という頃。 
けれど歩き始めてから、まだ2~3分ほど。





山頂方面へ向かう横道を発見し、行ってみることに。





けれど残念ながら、道は消えて行き止まりです。





後ろを振り返るとサチエが付いて来ていました。





何と、気付かないうちにMさんもすぐ後ろに。





山、というか丘を、もと来た方へと下ります。





そろそろ、皆の疲れもピークの頃。





来た道を引き返すと、賽の神がおられました。 
分かりにくいですけれど、写真の左下です。





賽の神、アップ。

それでも分かりにくいので、こちらを↓ご参照ください。


GoogleMap/松江市観光振興部+黄泉比良坂/さかきばらたけし



けれど、上の写真と同じ処でしょうか?? 
ちょっと違うような…

 

ともあれ、伊賦夜坂はここまでとして引き返します。





そろそろ太陽の光が、かなり斜めになってきました。





森の出口近くには、シダが群生しています。



これにて、この日の巡拝は完了しました。

ここから一気に中海の大根島から江島、そして弓ヶ浜半島の境港を経由して、島根半島東端の美保関へと進みます。



(つづく)




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村崎一徳について
わたくし村崎一徳は、
お寺やお城、神社、昔の住宅、教会、宮殿、寺院、修道院、御所、駅、駅舎、公園、庭園、空港、劇場、劇場・映画館・演芸場・観覧場・公会堂・集会場、ホテル・旅館、工場、下宿・寄宿舎、倉庫、博物館・美術館・図書館などの建造物や工芸品,彫刻,書跡,典籍,古文書,考古資料,歴史資料などの有形の文化財など歴史がある物が大好きなわたくし村崎一徳がデジカメ片手に全国を旅しながら写真を紹介しています。
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北は北海道から南は沖縄まで色んな観光地を訪ねながら、風景や建造物の写真を紹介中です。主に関東圏をまわっていますが、お金と時間に余裕がある時は気合い入れて遠出しています。 これまで行った場所は・・・
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ただ、全部は回れないので、他の旅人さんの情報をまとめたこのサイトを作る事で全国を旅した気分になれるようなそんなまとめサイトを目指したいと思います。決して著作権を侵害する目邸ではありません。 できえば他のブロガーさんや旅人が足を運ばないような、あまり知られていないマイナーな場所にも足を運びたいと考えています。
個人的に今興味があるのは戦前、戦中の数少ない遺跡などが見たいと思います。そういうスポットでおすすめとろこなんていうのがあれば情報交換とかもしたいですね。そういう意味でもコメントなども随時受け付けています。村崎一徳と一緒に地方のマイナーなスポットを盛り上げましょうww
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