島根半島の祖神を今に伝える佐太神社~初夏出雲行(29)←(承前)



遅くなりましたけれど、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。




松江の市街地、宍道湖の湖水が中海へと流れ出す大橋川の白潟に、賣布神社は鎮まります。




この南面した境内の背後を、大橋川が西から東へと流れています。

出雲國神仏霊場公式ホームページ/賣布神社

通称 白潟(しらかた)さん 橋姫(はしひめ)さん
ということですが、「白潟」とは大橋川の中州西端の地名で、港を備えた中世出雲の商人街として賑わったそうです。

この地区には、風土記にある「意宇郡売布社」に比定される売布神社(現在は新大橋南詰に所在)があります。主祭神は海の守護神とされる速秋津比売命です。戦国時代には「橋姫大明神」と呼ばれて尊崇されていました。航路の要所らしい信仰を見ることができます
みやざこ郷土史調査室/中世水運と松江-中世出雲の商人街、白潟

主に古くからある大きな橋では、橋姫が外敵の侵入を防ぐ橋の守護神として祀られている。古くは水神信仰の一つとされ、橋の袂に男女二神を祀ったことが始まりともいわれている
Wikipedia/橋姫




───────────────────────────
風土記の杜
延喜式内社
賣布神社御由緒


一、御祭神

主祭神:速秋津比賣神(はやあきつひめのかみ)
・・・・[水戸(みなと)ノ神・祓戸(はらえど)ノ神]

相殿神:五十猛命(いたけるのみこと)
・・・・大屋津姫命(おおやつひめのみこと)
・・・・柧津姫命(つまづひめのみこと)
・・・・[樹種ノ神]

摂社神:櫛八玉神(くしやたまのかみ)
・・・・[漁労・調理・製陶ノ神]


二、御神徳とその意義

当社は遠く神代において摂社の御祭神である櫛八玉神(くしやたまのかみ)が潮の流れの中にあるとされる速秋津比賣神(はやあきつひめのかみ)を生命の祖神としてお祀りになったことに始まり、後に樹種の神とされる相殿の三神が合わせ祀られたと伝えられています。

このことは、海の潮の働きと地上の樹木の働きがあいまって海河山野の幸がもたらされ、人々も生かされていることが示されています。

神ながらの道の原点は、大自然の営みに畏敬の念をはらい、自己の生き方を律して、諸々の禍(わざわ)いや過(あやま)ち、そして気枯(けが)れ(穢れ)などあればこれを見直し、人本来の生き方や生命力を蘇らせることにあり、それが「祓え・清め」の真の意義でもあります。

そのための活力(気・き)は、「潮の気(水気や塩気)そして、樹木の気に宿る神々によってもたらされる」と信仰されてきたのです。


三、社名と神社の歴史について

当社は、「出雲国風土記」に「賣布社(めふのやしろ)」、「延喜式」には「賣布神社(めふのかみやしろ)」と記された古社であり、社名の『めふ』とは、海藻や草木の豊かに生えることを意味しています。
当社の元の鎮座地は、古代名の意宇(おう)の入海(いりうみ)(今の宍道湖)の西部湖岸と考えられ、潮の流れや地形の変動に伴い遷座され、岩崎鼻(袖師ガ浦)に鎮座した時代もあり、潟地が広がって白潟(しらかた)の地が形成されて現在地に遷座されたのが十三世紀頃と考えられ、「白潟大明神」とか、十五世紀には「橋姫(はしひめ)大明神」とも称され、水郷「松江」の産土神(うぶすながみ)として鎮座しました。

また、中世には港町「白潟」の宮座の権利として神田や漁業権を保有してきた歴史があり、祭儀では摂社の「櫛八玉神」の御事蹟と関連して、古代神話の国譲りの段に因む神事が継承されてきました。
───────────────────────────




拝殿。

主祭神のハヤアキツヒメは大祓詞に登場する祓戸大神の一柱で、早川の瀬に坐すセオリツヒメが大海原へと流した罪穢れを、潮の八百曾で待ち構えて呑み込む神さまです。

「~遺る罪は在らじと祓へ給ひ清め給ふ事を 高山の末低山の末より佐久那太理に落ち多岐つ 早川の瀬に坐す瀬織津比売と言ふ神 大海原に持出でなむ 此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百曾に坐す速開都比売と言ふ神 持ち加加呑みてむ 此く加加呑みてば 息吹戸に坐す息吹戸主と言ふ神 根国底国に息吹放ちてむ 此く息吹放ちてば 根国底国に坐す速佐須良比売と言ふ神 持ち佐須良比失ひてむ 此く佐須良比失ひてば 罪と言ふ罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を 天津神国津神八百万の神等共に聞食せと白す
Wikisource/大祓詞

Wikipedia/祓戸大神
Wikipedia/ハヤアキツヒコ・ハヤアキツヒメ


そして、そのハヤアキツヒメを生命の祖神としてこの賣布神社で祀ったのが摂社神の櫛八玉神ということですが、この櫛八玉神とはふしぎな身逃げ神事の謎に湊社で挑んでみる~初夏出雲行(17)でご紹介した出雲大社の摂社である湊社のご祭神となります。


また、櫛八玉神は水戸神(みなとのかみ/ハヤアキツヒコ・ハヤアキツヒメ)二神の孫神だということで、見逃げ神事の供奉を司る別火氏はその櫛八玉神を祖神としていますから、別火氏の大元の祖神は水戸神ということになり、やはり何だかちょっと不思議な組み合わせですね(笑)




本殿、向かって左から。
立派な大社造です。




本殿の真裏。

実のところ、境内には多くの摂社が祀られていたのですけれど、その神々さまのお名前がよく分からないまま、それぞれへ一揖するのみでした。

そのため写真もあまり撮っていませんので境内を詳しくご紹介できなくて、スミマセン(泣)

ということで、こちらをご参照くださいませ。
玄松子の記憶/賣布神社




最後に本殿の右後ろから。



さて、祓戸大神について、少し思うところがあります。

ご存知の通り、祓戸大神は祓詞で、
掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等 諸々の禍事・罪・穢 有らむをば 祓へ給ひ清め給へと 白すことを聞こし召せと 恐み恐みも白す
と登場し、上でご紹介したように大祓詞では四神が罪穢れをリレー形式で順次祓い清めていく姿が描写されます。

そして、これら祓詞や大祓詞は、おおよそどこの神社でも、祝詞の中で最重要かつ最も日常的に唱えられているものだと思います。

さらに、神社それぞれには特有の神拝詞がありますけれど、その奏上前には、ほぼ必ずと言って良いほど、祓詞や大祓詞が奏上されます。

これはつまり、日本全国で総計すれば、祓戸大神とは祝詞によってその神名を称えられることが最も多い神、ということになります。

そうなると、神道における罪穢れと祓い清めという思想の根幹を担っているのが祓戸大神であり、本来この祓戸大神こそが最重要の神ではないか、と思われてなりません。


そこで祓戸大神の総本宮ってあるのかどうか、あれこれ調べてみたことがあるのですけれど、唯一、祓戸大神四柱のみを主祭神としていたのが、式内名神大社の佐久奈度神社でした。

Wikipedia/佐久奈度神社

佐久奈度神社ホームページには、このようにあります。
───────────────────────────
 神道は「祓い【はらい】に始まり、祓いに終わる」と言われております。
 その祓いと禊ぎ【みそぎ】をつかさどる祓戸の大神を祭る総本宮が佐久奈度神社です。当社は、朝廷が飛鳥より近江大津宮に移ったのを期に、天智天皇八年(六六九)、天皇の勅願により中臣朝臣金連【かねのむらじ】がこの地に社殿を造り、「祓戸の大神三神」を祭ったのが始まりです。
───────────────────────────
  古来より伊勢神宮に参拝するには、まず当社で禊ぎをするのが習わしとされ、当地「大石」の語源も忌伊勢 (おいせ…伊勢詣での祓所の意)が訛ったものとされています。
  また、特筆すべきことは神道における最高祝詞である『大祓詞【おおはらえのことば】』のもとである『中臣大祓詞』は当社が創始地であるということです。古来より当社に伝わる祓詞が、文武天皇の時代に勅使がつかわされ『中臣大祓詞』として増補制定されました。さらに明治時代になり、国家の管理となった神社界において新たに祝詞が制定されました。それが『中臣大祓詞』より抜粋された『大祓詞』なのです。
───────────────────────────
佐久奈度神社/『由緒記』/由緒

そしてこの佐久奈度神社へと参拝に伺ってみたところ、琵琶湖から只一つ流れ出る瀬田川、その両岸に峻厳な岩々が連なって、流れがいきなり直角に曲がったほとりに社殿はありました。

そのお姿は、まさに「高山の末低山の末より佐久那太理に落ち多岐つ 早川の瀬に坐す」の通りです。

しかし現境内地は、1964年に下流の天ヶ瀬ダム建設に伴って旧境内地が水没するため移転したとのこともあり、式内名神大社として栄えた往事とは趣が変わっているように思えます。
正直、ここが神道最重要の神を祀る地、という風情とは少し違うように感じる寂寥感がありました。


ちなみに、祓戸大神の四柱のみを主祭神として祀るのが
唯一この佐久奈度神社として、四柱の1番目セオリツヒメを主祭神とする神社は全国に幾つかあるようですが、2番目のハヤアキツヒメについては私の知る限り今回の賣布神社のみ、3番目のイブキドヌシと4番目のハヤサスラヒメについては寡聞にして知りません。
また、セオリツヒメの総本宮というものも、聞いたことがありません。

どうにも盛り上がらない祓戸大神の祭祀、という印象です。

また、一般的な神社のご祈祷で祓詞を奏上される際、神職は拝殿などの中央から少し横へ外れて大麻(おおぬさ)を前にしますが、どうやら何処でも祓戸大神の神棚などは無いようです。
おそらく祓戸大神を単に思い浮かべるだけで、その神名が称えられているのだと思い
ます。

要は神社において、その多くが摂末社で祓戸社を擁しているかと思いますけれど、ハッキリ言ってそれらは境内でも比較的小さな社であり、拝殿などで祓詞や大祓詞を奏上しても、そのための神棚は不要という、やはり無くてはならないけれどあくまでもオマケ、みたいな扱いになっています。


これって、どうして何でしょう???
これが前々から、私にとっての大きな疑問となっています。


そこで、ひとつ考えられることは、祓戸大神とは超強大強力な祟り神として捉えられているのかも、ということです。

この世に生じた諸々の禍事・罪・穢を
早川からひとまとめに洗い流し、大海原でガップリと呑み込んで、根国底国へと一気に息吹放ってあの世へと消滅させてしまうほどの力ですから、それは大いなる自然の働き、という他ありません。

また、怒濤のような川の急流、何でも呑み込む大海、吹き荒れて止まぬ強風、未知なる死の世界、これらは人間に抗い難く大きな災厄をもたらす最凶の力です。

そのような祓戸大神という大自然の力をもって、人間の生み出す禍事・罪・穢を制する、つまり毒を以て毒を制す、ということではないかと思われます。

そのためそう易々とは、祓戸大神を盛大に祀り上げる神社が存在し難い、ということがあるのかも知れません。

そして例えば、アマテラスの荒御魂を
セオリツヒメと同一視する西宮の廣田神社や大阪の御霊神社などは、最高神の陰陽における陰サイドを祓戸大神として祀ることで、その祟りを鎮めようとする考え方ではないか、などと思ったりしています…



そのようなことで、今回の賣布神社は
希少な存在でありますし、私にとっても貴重な訪問でした。
次の機会には、是非ともゆっくり訪れてみたいと思っています。


そうして次は、八重垣神社へと向かいました。




(つづく)




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村崎一徳による神社、お寺、お城などの写真や風景写真など旅行写真まとめ

罪穢れを呑んで祓う水戸神の賣布神社~初夏出雲行(30)

2016.01.14

罪穢れを呑んで祓う水戸神の賣布神社~初夏出雲行(30) はコメントを受け付けていません。


島根半島の祖神を今に伝える佐太神社~初夏出雲行(29)←(承前)



遅くなりましたけれど、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。




松江の市街地、宍道湖の湖水が中海へと流れ出す大橋川の白潟に、賣布神社は鎮まります。




この南面した境内の背後を、大橋川が西から東へと流れています。

出雲國神仏霊場公式ホームページ/賣布神社

通称 白潟(しらかた)さん 橋姫(はしひめ)さん
ということですが、「白潟」とは大橋川の中州西端の地名で、港を備えた中世出雲の商人街として賑わったそうです。

この地区には、風土記にある「意宇郡売布社」に比定される売布神社(現在は新大橋南詰に所在)があります。主祭神は海の守護神とされる速秋津比売命です。戦国時代には「橋姫大明神」と呼ばれて尊崇されていました。航路の要所らしい信仰を見ることができます
みやざこ郷土史調査室/中世水運と松江-中世出雲の商人街、白潟

主に古くからある大きな橋では、橋姫が外敵の侵入を防ぐ橋の守護神として祀られている。古くは水神信仰の一つとされ、橋の袂に男女二神を祀ったことが始まりともいわれている
Wikipedia/橋姫




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風土記の杜
延喜式内社
賣布神社御由緒


一、御祭神

主祭神:速秋津比賣神(はやあきつひめのかみ)
・・・・[水戸(みなと)ノ神・祓戸(はらえど)ノ神]

相殿神:五十猛命(いたけるのみこと)
・・・・大屋津姫命(おおやつひめのみこと)
・・・・柧津姫命(つまづひめのみこと)
・・・・[樹種ノ神]

摂社神:櫛八玉神(くしやたまのかみ)
・・・・[漁労・調理・製陶ノ神]


二、御神徳とその意義

当社は遠く神代において摂社の御祭神である櫛八玉神(くしやたまのかみ)が潮の流れの中にあるとされる速秋津比賣神(はやあきつひめのかみ)を生命の祖神としてお祀りになったことに始まり、後に樹種の神とされる相殿の三神が合わせ祀られたと伝えられています。

このことは、海の潮の働きと地上の樹木の働きがあいまって海河山野の幸がもたらされ、人々も生かされていることが示されています。

神ながらの道の原点は、大自然の営みに畏敬の念をはらい、自己の生き方を律して、諸々の禍(わざわ)いや過(あやま)ち、そして気枯(けが)れ(穢れ)などあればこれを見直し、人本来の生き方や生命力を蘇らせることにあり、それが「祓え・清め」の真の意義でもあります。

そのための活力(気・き)は、「潮の気(水気や塩気)そして、樹木の気に宿る神々によってもたらされる」と信仰されてきたのです。


三、社名と神社の歴史について

当社は、「出雲国風土記」に「賣布社(めふのやしろ)」、「延喜式」には「賣布神社(めふのかみやしろ)」と記された古社であり、社名の『めふ』とは、海藻や草木の豊かに生えることを意味しています。
当社の元の鎮座地は、古代名の意宇(おう)の入海(いりうみ)(今の宍道湖)の西部湖岸と考えられ、潮の流れや地形の変動に伴い遷座され、岩崎鼻(袖師ガ浦)に鎮座した時代もあり、潟地が広がって白潟(しらかた)の地が形成されて現在地に遷座されたのが十三世紀頃と考えられ、「白潟大明神」とか、十五世紀には「橋姫(はしひめ)大明神」とも称され、水郷「松江」の産土神(うぶすながみ)として鎮座しました。

また、中世には港町「白潟」の宮座の権利として神田や漁業権を保有してきた歴史があり、祭儀では摂社の「櫛八玉神」の御事蹟と関連して、古代神話の国譲りの段に因む神事が継承されてきました。
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拝殿。

主祭神のハヤアキツヒメは大祓詞に登場する祓戸大神の一柱で、早川の瀬に坐すセオリツヒメが大海原へと流した罪穢れを、潮の八百曾で待ち構えて呑み込む神さまです。

「~遺る罪は在らじと祓へ給ひ清め給ふ事を 高山の末低山の末より佐久那太理に落ち多岐つ 早川の瀬に坐す瀬織津比売と言ふ神 大海原に持出でなむ 此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百曾に坐す速開都比売と言ふ神 持ち加加呑みてむ 此く加加呑みてば 息吹戸に坐す息吹戸主と言ふ神 根国底国に息吹放ちてむ 此く息吹放ちてば 根国底国に坐す速佐須良比売と言ふ神 持ち佐須良比失ひてむ 此く佐須良比失ひてば 罪と言ふ罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を 天津神国津神八百万の神等共に聞食せと白す
Wikisource/大祓詞

Wikipedia/祓戸大神
Wikipedia/ハヤアキツヒコ・ハヤアキツヒメ


そして、そのハヤアキツヒメを生命の祖神としてこの賣布神社で祀ったのが摂社神の櫛八玉神ということですが、この櫛八玉神とはふしぎな身逃げ神事の謎に湊社で挑んでみる~初夏出雲行(17)でご紹介した出雲大社の摂社である湊社のご祭神
となります。


また、櫛八玉神は水戸神(みなとのかみ/ハヤアキツヒコ・ハヤアキツヒメ)二神の孫神だということで、見逃げ神事の供奉を司る別火氏はその櫛八玉神を祖神としていますから、別火氏の大元の祖神は水戸神ということになり、やはり何だかちょっと不思議な組み合わせですね(笑)




本殿、向かって左から。
立派な大社造です。




本殿の真裏。

実のところ、境内には多くの摂社が祀られていたのですけれど、その神々さまのお名前がよく分からないまま、それぞれへ一揖するのみでした。

そのため写真もあまり撮っていませんので境内を詳しくご紹介できなくて、スミマセン(泣)

ということで、こちらをご参照くださいませ。
玄松子の記憶/賣布神社




最後に本殿の右後ろから。



さて、祓戸大神について、少し思うところがあります。

ご存知の通り、祓戸大神は祓詞で、
掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等 諸々の禍事・罪・穢 有らむをば 祓へ給ひ清め給へと 白すことを聞こし召せと 恐み恐みも白す
と登場し、上でご紹介したように大祓詞では四神が罪穢れをリレー形式で順次祓い清めていく姿が描写されます。

そして、これら祓詞や大祓詞は、おおよそどこの神社でも、祝詞の中で最重要かつ最も日常的に唱えられているものだと思います。

さらに、神社それぞれには特有の神拝詞がありますけれど、その奏上前には、ほぼ必ずと言って良いほど、祓詞や大祓詞が奏上されます。

これはつまり、日本全国で総計すれば、祓戸大神とは祝詞によってその神名を称えられることが最も多い神、ということになります。

そうなると、神道における罪穢れと祓い清めという思想の根幹を担っているのが祓戸大神であり、本来この祓戸大神こそが最重要の神ではないか、と思われてなりません。


そこで祓戸大神の総本宮ってあるのかどうか、あれこれ調べてみたことがあるのですけれど、唯一、祓戸大神四柱のみを主祭神としていたのが、式内名神大社の佐久奈度神社でした。

Wikipedia/佐久奈度神社

佐久奈度神社ホームページには、このようにあります。
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 神道は「祓い【はらい】に始まり、祓いに終わる」と言われております。
 その祓いと禊ぎ【みそぎ】をつかさどる祓戸の大神を祭る総本宮が佐久奈度神社です。当社は、朝廷が飛鳥より近江大津宮に移ったのを期に、天智天皇八年(六六九)、天皇の勅願により中臣朝臣金連【かねのむらじ】がこの地に社殿を造り、「祓戸の大神三神」を祭ったのが始まりです。
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  古来より伊勢神宮に参拝するには、まず当社で禊ぎをするのが習わしとされ、当地「大石」の語源も忌伊勢 (おいせ…伊勢詣での祓所の意)が訛ったものとされています。
  また、特筆すべきことは神道における最高祝詞である『大祓詞【おおはらえのことば】』のもとである『中臣大祓詞』は当社が創始地であるということです。古来より当社に伝わる祓詞が、文武天皇の時代に勅使がつかわされ『中臣大祓詞』として増補制定されました。さらに明治時代になり、国家の管理となった神社界において新たに祝詞が制定されました。それが『中臣大祓詞』より抜粋された『大祓詞』なのです。
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佐久奈度神社/『由緒記』/由緒

そしてこの佐久奈度神社へと参拝に伺ってみたところ、琵琶湖から只一つ流れ出る瀬田川、その両岸に峻厳な岩々が連なって、流れがいきなり直角に曲がったほとりに社殿はありました。

そのお姿は、まさに「高山の末低山の末より佐久那太理に落ち多岐つ 早川の瀬に坐す」の通りです。

しかし現境内地は、1964年に下流の天ヶ瀬ダム建設に伴って旧境内地が水没するため移転したとのこともあり、式内名神大社として栄えた往事とは趣が変わっているように思えます。
正直、ここが神道最重要の神を祀る地、という風情とは少し違うように感じる寂寥感がありました。


ちなみに、祓戸大神の四柱のみを主祭神として祀るのが
唯一この佐久奈度神社として、四柱の1番目セオリツヒメを主祭神とする神社は全国に幾つかあるようですが、2番目のハヤアキツヒメについては私の知る限り今回の賣布神社のみ、3番目のイブキドヌシと4番目のハヤサスラヒメについては寡聞にして知りません。
また、セオリツヒメの総本宮というものも、聞いたことがありません。

どうにも盛り上がらない祓戸大神の祭祀、という印象です。

また、一般的な神社のご祈祷で祓詞を奏上される際、神職は拝殿などの中央から少し横へ外れて大麻(おおぬさ)を前にしますが、どうやら何処でも祓戸大神の神棚などは無いようです。
おそらく祓戸大神を単に思い浮かべるだけで、その神名が称えられているのだと思い
ます。

要は神社において、その多くが摂末社で祓戸社を擁しているかと思いますけれど、ハッキリ言ってそれらは境内でも比較的小さな社であり、拝殿などで祓詞や大祓詞を奏上しても、そのための神棚は不要という、やはり無くてはならないけれどあくまでもオマケ、みたいな扱いになっています。


これって、どうして何でしょう???
これが前々から、私にとっての大きな疑問となっています。


そこで、ひとつ考えられることは、祓戸大神とは超強大強力な祟り神として捉えられているのかも、ということです。

この世に生じた諸々の禍事・罪・穢を
早川からひとまとめに洗い流し、大海原でガップリと呑み込んで、根国底国へと一気に息吹放ってあの世へと消滅させてしまうほどの力ですから、それは大いなる自然の働き、という他ありません。

また、怒濤のような川の急流、何でも呑み込む大海、吹き荒れて止まぬ強風、未知なる死の世界、これらは人間に抗い難く大きな災厄をもたらす最凶の力です。

そのような祓戸大神という大自然の力をもって、人間の生み出す禍事・罪・穢を制する、つまり毒を以て毒を制す、ということではないかと思われます。

そのためそう易々とは、祓戸大神を盛大に祀り上げる神社が存在し難い、ということがあるのかも知れません。

そして例えば、アマテラスの荒御魂を
セオリツヒメと同一視する西宮の廣田神社や大阪の御霊神社などは、最高神の陰陽における陰サイドを祓戸大神として祀ることで、その祟りを鎮めようとする考え方ではないか、などと思ったりしています…



そのようなことで、今回の賣布神社は
希少な存在でありますし、私にとっても貴重な訪問でした。
次の機会には、是非ともゆっくり訪れてみたいと思っています。


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(つづく)




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わたくし村崎一徳は、
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わたくし村崎一徳は他にもどんどん行く予定です。
ただ、全部は回れないので、他の旅人さんの情報をまとめたこのサイトを作る事で全国を旅した気分になれるようなそんなまとめサイトを目指したいと思います。決して著作権を侵害する目邸ではありません。 できえば他のブロガーさんや旅人が足を運ばないような、あまり知られていないマイナーな場所にも足を運びたいと考えています。
個人的に今興味があるのは戦前、戦中の数少ない遺跡などが見たいと思います。そういうスポットでおすすめとろこなんていうのがあれば情報交換とかもしたいですね。そういう意味でもコメントなども随時受け付けています。村崎一徳と一緒に地方のマイナーなスポットを盛り上げましょうww
よろしくお願いします。

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