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上御霊神社 御霊信仰発祥の神社

2016.01.14

上御霊神社 御霊信仰発祥の神社 はコメントを受け付けていません。

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

御霊神社(上御霊神社)は昨年暮れに訪れました。さらに、先週も相国寺の後に立ち寄りましたので、最後の方にそのときの写真が混じっています。上と下の写真は四脚門(南門)で、伏見城の四脚門を移築したものと伝えられています。

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「御霊神社(ごりょうじんじゃ)」は桓武天皇が延暦13年(794)平安遷都にあたり、都の守り神として弟・崇道天皇(早良親王)をこの地に祀ったのが始まりとされます。

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当時、天変地異や疫病の流行があいつぎ、それは非運の中に亡くなった高貴の人々の祟りであると考え、その人々の神霊を丁重にお祀りすることによって、災いをなくそうという御霊信仰が生まれました。また、その祭を御霊会(ごりょうえ)といいます。(舞殿)

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その後、後仁明天皇、清和天皇の時代になって、井上内親王、他戸親王、藤原吉子(伊豫親王母)、橘逸勢、文屋宮田麿の神霊を合祀して、貞観5年(863)5月20日に神泉苑で六座の神座を設けて悪疫退散の御霊会が行われました。

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祇園祭をはじめとして京都の夏祭りの多くは御霊会で、御霊神社の祭礼はその発祥と考えられています。(拝殿)

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さらに、本殿に火雷神(からいしん)と吉備真備を併祭して、国家守護、皇居御産土神、都民擁護の八所御霊として崇拝されてきました。本殿は、享保18年(1733)に寄進された内裏賢所御殿の遺構を昭和45年に復原したものだそうです。

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この後、境内にある摂社や記念碑などを見て回ります。本殿の左手にある「八幡宮」 花御所八幡宮ともよばれ、明治維以前は出雲路北の小山にあった五所八幡を遷したもので、それ以前は足利室町第内にあった花之卸所八幡宮だったといわれています。

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続いて、「疫除社」など37社が並んでいます。

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「厳島神社」

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「神明神社」 境内の北東隅にあります。このあたりは、かって神社の境内が広く、「御霊の森」とよばれた雑木林が広がっていた頃の面影があります。

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「福寿稲荷神社」 境内の南東隅にあります。

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「清明心の像」 国際児童年(1979)にあたり生命の尊重と子供達の健やかな成長を祈り、中国宋代の学者司馬温公の故事に拠って建立されました。

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「手水舎」 舞殿の西にあります。

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「芭蕉句碑」松尾芭蕉は元禄3年(1690)に参詣し「半日は神を友にや年忘」の句を奉納しました。 舞殿の西にあります。

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「新村出歌碑」 広辞苑の編者として知られる新村出は京都帝国大学時代から終生この近くに住み、80歳のときにこの歌を奉納したそうです。「上御霊のみやしろに 詣でてよめる 千早振る神のみめぐみ  ふかくして 八十ぢに満つる 幸を得にけり」

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「御車舎」 江戸時代初期、後陽成天皇が上皇当時に寄進された牛車を収める蔵で、昨年8月に完成しました。

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楼門(西門) 江戸時代中期の寛政年間(1789-1801)に再建されたものです。

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楼門の右にある「応仁の乱発祥」の碑 応仁元年(1467)畠山政長が御霊の森に陣をしき畠山義就と戦いを交えたのが応仁の乱の発端となりました。

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楼門の両脇には仁王像ではなく、平安時代の貴族の護衛役の随身(ずいしん・)の木像が置かれています。

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嵯峨御流の「石川利佳甫」師範による生け花の奉納

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本殿に祀られている祭神のうち火雷神は菅原道真のことで、八神は奈良時代の末期から平安時代初期に実在して、いずれも非業の死を遂げた人々の神霊です。

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「絵馬所」 江戸時代中期の宝暦年中に寄進された内裏賢所権殿を絵馬所につくり改めたものです。皆川淇園(きえん)、小林雪山など著名絵師の作品がかかげられています。

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見たところ、3種類の干支(申)の絵馬がありました。

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