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相国寺塔頭・養源院 特別公開

2016.01.12

相国寺塔頭・養源院 特別公開 はコメントを受け付けていません。

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

相国寺の方丈・法堂を見た後、境内の南西にある塔頭・養源院を訪れました。養源院といえば、三十三間堂の前と妙心寺にもありますが、こちらも由緒があるお寺です。

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開祖・曇仲道芳(どんちゅうどうぼう、1367-1409)は詩文に優れ、将軍・足利義満・義持父子に寵愛を受けました。ところが自ら出世を望まず、終生黒衣で通して相国寺の常徳院内の禅室「養源軒」に隠棲しだといいます。

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曇仲が亡くなると、百万遍にある長生軒に葬られ、後に門人らは常徳院内の旧隠居所にならって養源院と改名しました。上の本堂には本尊・薬師如来と鎌倉時代の慶派仏師の作と伝わる高さ約170cmの秘仏「毘沙門天像(多聞天像)」を祀っています。

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弟子であった相国寺79世・横川景三(おうせんけいさん、1429-1493)は、東山養源院を相国寺山内に移転してその2世に就任しました。

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ところで、本堂に安置されている毘沙門天像には逸話が残っています。長年その存在は知られていませんでしたが、江戸時代に相国寺近くに住む奈良屋与兵衛の夢枕にこの毘沙門天像が現れたことから像が発見されたといいます。(中庭)

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また伊藤若冲との縁も深く、毘沙門天像の法要が相国寺で行われた際に、若冲の代表作「釈迦三尊像」「動植綵絵(どうしょくさいえ)」が初めて一般に公開されたそうです。

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庫裡と書院との廊下、右手に書院「相和亭」があります。五摂家の筆頭・近衛家の 「桜御所」から移築した建物です。

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幕末の鳥羽・伏見の戦い(1868年)では薩摩藩士にも多くの負傷者がでました。養源院は彼らを収容する野戦病院「薩摩病院」となりました。

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ところが、当時の藩医は外科手術に未熟だったため死者が相次ぎ、薩摩藩は英国公使に外科医の派遣を要請しました。(書院のガラス戸越しに庭が見えます。こちらは東。)

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南の池泉式庭園も近衛家の 「桜御所」のものを移築・復元したものです。ガラスは江戸時代のものだそうで、よく見ると波打っています。

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幕末の京都は外国人の入京を禁じていたため、西郷隆盛は薩摩藩主・島津茂に朝廷に願書を提出するよう依頼して、通訳を含むイギリス人医師ウィリアム ・ウィリス一行が派遣されました。(石の間から湧き出した水が滝となって池に注いでいます。)

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ウィリスは藩医らを助手に10日間にわたり100人以上の重傷者の治療にあたり、日本で初めてクロロホルム麻酔による外科手術も行ったといいます。(向こうに見える茶室「道芳庵」も 「桜御所」から移築したものです。)

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ウィリス(1837-1894)はエディンバラ大学で医学を学び江戸駐在英国公使館の第二補佐官兼医官として日本に赴任しました。そこで、第二次東禅寺事件や生麦事件に遭遇し、薩英戦争ではイギリス人負傷者の治療をしました。

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その後も幕末の事件や戦争の負傷者の治療にあたり、1869年新政府の要請で東京医学校の教授、病院の指導にあたりました。

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新政府がドイツ医学採用の方針をとると、東京医学校とイギリス外務省を辞職し、西郷隆盛らの招きで鹿児島医学校長、附属病院長に就任しました。1877年の西南戦争勃発のため東京に戻るまで鹿児島で近代医学の普及に貢献しました。

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話が前後しますがし、文久3年(1863)薩摩藩が相国寺の敷地を借りて二本松邸を建造しました。坂本龍馬の仲介で『薩長同盟』が結ばれた場所として知られています。藩邸の跡地は現在同志社大学のキャンパスになっています。

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二本松邸は相国寺境内の南、養源院の近くにありました。相国寺には薩摩藩の墓もあり、養源院が薩摩藩の野戦病院となったのもうなづけます。、

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