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竹中稲荷から宗忠神社へ

2016.01.06

竹中稲荷から宗忠神社へ はコメントを受け付けていません。

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

吉田神社の初詣の後、吉田山の頂上まで行きました。山越えの道の峠まで来ると「竹中稲荷神社」の鳥居参道があります。

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吉田神社の創建などの由緒は不明です。古い記録によると、在原業平の住居が「神楽岡稲荷神杜の傍にトす」とあり、天長年間(824~834)には既にこの場所に社殿があったことが推察できます。「ト(ぼく)す」とは定めるという意味だそうです。

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江戸時代末期には多くの参詣者で賑わい、参道には数千の鳥居が並び雪雨でも傘が必要 なかったそうです。明治5年に吉田神社の末杜となり、現在でも竹中稲荷講杜が組織され多数の講員がいらっしゃるそうです。

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祭神として、宇賀御魂神(うがのみたまのかみ)、猿田彦神(さるたひこのかみ)、天鈿女神(あめのうずめのかみ)を祀り、商売繁盛のご利益があるとされます。(お正月を思わせるのは社殿のしめ飾りくらいでした。)

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ところで、ここ吉田山はかって里山として薪や柴などを利用し、春は桜、秋は紅葉、松茸狩りの山として地域の人に親しまれてきたそうです。本殿の前から大文字山が間近に見え、人が登っているのが分かります。

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しかし、昭和30年頃から柴や薪の利用が無くなり、里山としての手入れがされず、椎や樫などの常緑樹の大木が増えてきました。その結果山が暗くなるなど環境が変化して、マツ枯れやナラ枯れも問題となってきたそうです。(本殿の前から真如堂も望めます。)

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「吉田山の里山を再生する会」では、地域住民、大学、神社、企業などと協力して里山としての吉田山を再生する活動をしているそうです。(鳥居参道を戻る途中で、吉田山の山頂に寄りました。)

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健全な森となるように補助的な伐採や捕植、低木や林床の植物に十分な光が届くような手入れ、薪や腐葉土を持続的に利用する試みなどを行っているそうです。何年か後には、このあたりから送り火や市内が見られるそうです。

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竹中稲荷神社の参道入口の向かいに宗忠神社があります。「宗忠神社」は黒住教の教祖・黒住宗忠を祀る神社です。

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宗忠は、江戸時代の安永9年(1780)備前国(岡山県)の今村宮の神主の家に生まれ、文化11年(1814)の冬至の日、朝の太陽を拝しているうちに神人一体の霊感を受け、黒住教を創始したとされます。

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以後宗忠は布教を重ね嘉永3年(1850)に亡くなりましたが、安永3年(1866)朝廷から「宗忠大明神」の神号を与えられました。拝殿は昭和12年(1937)に、本殿は明治46年(1912)に改築されたものです。

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文久2年(1862)高弟の赤木忠春が吉田神社からこの地を譲渡され、宗忠大明神を勧請して建立したのが宗忠神社です。幕末には朝廷の勅願所となり、皇室や二条家、九条家などの公家からも信仰されました。(左に宗忠大明神、右に二条家より遷した天照大神を祀っています。)

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本殿の隣にある「忠春社」 忠春は美作(岡山県)の出身で眼病のため失明しましたが、宗忠の教えによって視力を回復したといわれています。宗忠の死後、京都で黒住教の布教に努め宗忠神社を創建しました。

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幕末の動乱期にあって忠春は尊王攘夷に傾倒し、「皇祖神・天照大神」を前面に出して大元(岡山市の本部)から破門されました。しかし,黒住教が明治以降いち早く「別派独立の許可」を得たのは,忠春の築いた人脈によるところが大きいといわれています。

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「別派独立の許可」とは、明治政府が祭祀を司る国家神道と宗教機能を持つ教派神道を分離して、一定の条件を満たした教派を独立教派として公認したことを指します。(春には桜のトンネルとなる表参道、向こうは真如堂です。)

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手水舎の「神井戸」  水は出ないといわれていた土地に忠春が掘り当てた井戸。神社に御神慮に適わぬことが起こると水が濁るといわれています。

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「教会所」 お正月の行事が行われていました。

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例祭は、本殿は4月、神明宮は10月に行われるそうです。

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愛想がいい社務所のワンちゃん。

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