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本禅寺 数奇な歴史の寺

2016.01.05

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目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

京都御苑の東、今出川通から寺待通を南に行くと、由緒あるお寺がいくつかあります。最初に目につくのは本禅寺です。本禅寺は法華宗の陣門流大本山で山号を光了山(こうりょうさん)といいます、

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最初にお断りしておきますが、このお寺の境内一円は駐車場になっています。そのことは地域住民の役に立っているという考え方もありますが、それはさておき、このお寺の数奇な歴史をたどりながら、境内を見て回ります。

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室町時代の応永13年(1406)日陣(にちじん)上人が四条堀川に創立したのがこの寺の始まりとされます。下の立像堂(釈迦堂)には宗祖・日蓮上人の随身仏といわれる「金銅釈迦如来立像」が祀られています。

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1536年に起こった「天文法華の乱」では、比叡山衆徒によって京都の日蓮宗21寺が襲われ、本禅寺も焼かれてしまいました。本尊はかつて本国寺に安置されていたものを、乱の際に本禅寺に持ち込まれたともいいます(後の1548年に奉納されたとの説もあります)。

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1540年になって、日覚(にっかく)大僧正が西陣の桜井町に土地を得て再建し、本禅寺5世となりました。この頃後奈良天皇の綸旨により勅願寺となりました。

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本堂には「遺魂道場」と書かれた扁額が掲げられています。総ヒノキ造りだそうですが、耐火性のある漆喰を塗っています。

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安土・桃山時代の天正年間(1573-1592)に、豊臣秀吉の都市改造によって寺町通の現在地に移転させられれました。

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本堂の前にある「七福弁財天」

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江戸時代には何度も火災にあいます。 1615年、1645年、1661年にそれぞれ焼失してその後再建されました。(本殿から客殿に渡り廊下が伸びています。)

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1708年の「宝永の大火」、1788年の「天明の大火」でも焼失しています。渡り廊下をくぐって振り返ると左に「手押しポンプ」が見えます。江戸時代の享保年間(1716-1736)にオランダから渡来した、

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あるいは長崎で発明されたともいいます。竜が水を吐く様子にたとえて「雲竜水」と呼ばれていますが、火事の消火にはあまり効果がなかったそうです。

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幕末には有栖川宮の祈願所となりました。有栖川宮は歴代、書道や歌道の師範を勤めて皇室の信任が篤く、徳川家や有力大名とも婚姻関係を結び、子弟を門跡寺院に入寺させなど有力な宮家でした。(西の京都御苑の方向)

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幕末の1852年頃に本殿、客殿、釈迦堂などが再建され現在の配置になりました。会津藩主の松平容保が京都守護職として上洛した当初、ここに宿泊したそうです。大正12年(1923)に堂宇が再建され現在に至っています。鎮守社の「三十番神」

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この梵鐘は、慶長11年(1606)に豊臣秀頼(秀吉の次男)が鋳造して摂津の生国魂(いくたま)大明神に献納したものとされます。豊臣秀頼、淀殿、加藤清正・勝元の名が刻まれているそうです。

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1615年の大坂の陣では、家康はこの鐘を徴用して陣鐘(戦いの指令に用いる鐘)としたそうです。その後、大久保彦左衛門が譲り受け、菩提寺であったこの寺に奉納したといわれています。

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墓地には 大久保彦左衛と一族、亀山藩主・石川主殿頭一族。江戸時代の画家・岸駒(がんく)と一族、刀研師で俳人の桜井梅室の墓や供養塔があります。山門を入ったところにあるお地蔵さん。

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秋に開催される「御会式(おえしき)」で立像堂の金銅釈迦立像が開帳されます(ここ数年は9月第4週の土曜日に開催されているそうですが、お出かけの場合はお確かめください)。

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