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相国寺 廃仏毀釈と独園承珠

2015.12.29

相国寺 廃仏毀釈と独園承珠 はコメントを受け付けていません。

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事のように、相国寺の本山の伽藍は江戸時代後期までに焼失と再建を繰り返してきました。今日は明治時代の廃仏毀釈に端を発した動きを見ながら、境内にある塔頭寺院や神社のいくつかを見て歩きます。(上は三門跡から見る法堂、下は仏殿跡)

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後に相国寺住職となる「独園承珠(どくおんじょじゅ)」は岡山の出身で、禅僧の叔父の導きで8歳で出家し、23歳で相国寺僧堂で「鬼大拙」の異名のあった大拙承演について十年余りの厳しい修行の後、印許を得ました。「大通院(僧房)」は鐘楼の東にあり、「相見謝絶」とのこと。

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安政2年(1855)37歳で塔頭「大光明寺」(心華院)の住職となりました。大光明寺は境内の北西にあります。

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明治元年(1868)明治政府は神仏分離令を発布しました。それによって仏教排斥の運動(廃仏毀釈)がおこり、神仏混淆の立場にあった寺院はさまざまな被害を受けました。下は鎮守の「八幡宮」 義満が男山八幡から御神体を迎えた時は沿道に白布を敷きつめたといいます。大光明寺の南にあります。

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廃仏毀釈の嵐が吹き荒れる中の明治3年(1870)独園は相国寺の住職となりました。52歳のときで、「豊光寺」を住居としました。大光明寺の向かいにあります。

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分離令に次いで、明治政府は明治4年寺領上知令を発して、寺院の領地を召し上げました。多くの寺院は寺領を失い、相国寺でも7万坪あった境内地のうち、4万3千坪が没収されるという打撃を受けました。豊光寺の通用門

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明治5年に明治政府は「教部省」を設置し、(1)敬神愛国の旨を体し、(2)天理人道を明らかならしめ、(3)皇上を奉戴して朝旨を遵守せしむきこと、という「三条の教則」を神仏ともに布教綱領としました(大教宣布)。「後水尾帝歯髪塚」

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後水尾上皇は、承応二2年(1653)に、焼失した大塔を再建し、その時出家落髪の時の髪と歯を上層柱心に納めましたが、天明8年(1788)の天明の大火で焼失し、その跡地に歯髪塚を建てました。

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三条の教則によって、仏教は自由に教義を布教することができなくなり、神道に隷属する形となりました。西門付近にある塔頭「瑞春院」 水上勉の「雁の寺」のモデルになりました。

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同時に、三条の教則に基づいて各地の社寺で説教を行う無給の官吏として、「教導職」が導入されました。教部省が管轄し、神官や僧侶、民間の有識者などが任命され、教正、講義、訓導の階級に分かれ、それぞれに大、中、小の別がありました。

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さらに、研究教育機関として増上寺に「大教院」、地方に中教院、小教院を設置しました。これらは三条の教則に基づく国民教育の一端を担うことが期待されました。「西門」右は同志社大学。

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独園は教導職として招かれ東京に移り、大教院が設置されると大教正に任命されました。禅宗だけでなく宗教界として、「大教宣布」を推進する教育研究機関の最高の地位です。境内の西南の隅にある「普広院」の駐車場。

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そもそも大教院は仏教界からの設立建白書を政府が認めてできた機関です。三条の教則を説くに際して、僧侶と神官が合同して皇道国学を論じ研究し、それを講義して人材を育成する機関が必要だと主張したのです。三門跡

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しかしながら、大教正に任ぜられた独園は、大教宣布に強く反対して「信教の自由」を掲げて神官や国学者たちと激しく対立し、政府の廃仏政策にも激しく抵抗しました。やがて、神道側のなかで軋轢が生じ、神官教導職内部が混乱するなど事態が紛糾します。「弁天社」

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さらに外部からも教部省と大教院に対する非難もあり、ついに明治8年(1875)4月、神仏合同布教禁止の令が発せられ、5月大教院は解散、閉鎖されて、神道国教化政策は破綻に終わりました。(弁財天は御苑内久邇宮邸の守護神が、東京移転の際に寄進されたものです。)

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この間、各宗派の管長を華族とする懐柔にも独園は拒絶の姿勢を貫いたといわれています。 大教院が解散して相国寺管長にもどった独園は、それより地方の布教に努めたそうです。

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また、伊藤若冲の花鳥画30幅を宮内省に献じて金1万円の下賜金を得て、境内地1万8千坪を買い戻しました。それらは今でも宮中に保管されているそうです。キリスト教を創立の精神とする同志社大学に土地を貸すことを決めたのも独園でした。

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さらに、塔頭「玉龍院」を在家修行者のための禅堂として、参禅するもの常に50余人に達したといいます。山岡鉄舟などもここに参禅しています。玉龍院は総門を入って右にあります。

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明治27年弟子・東嶽承晙にあとを譲り、自らは東山銀閣寺に隠退し、翌年8月77歳で亡くなりました。彼の教えを受けた僧は、実に1千余人に及んだといい、第二の夢窓疎石ともいわれています。「宗旦稲荷社」

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鐘楼の北に祀られている宗旦稲荷には宗旦狐の故事が伝わっています。 江戸時代の初め、相国寺境内に一匹の白狐が住んでいました。その狐はしばしば茶人・千宗旦に姿を変え、時には雲水にまじり坐禅をくみ、また時には寺の和尚と碁を打つなどして人々の前に姿を現していました。

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宗旦になりすました狐は、近所の茶人宅へ赴いては茶を飲み菓子を食い荒らすことがたびたびでした。ある時、宗旦狐は塔頭・慈照院の茶室びらきで、点前を披露していました。遅れてきた宗旦はその見事な点前に感心したといいます。慈照院は相国寺境内から通りを隔てて北にあります。

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その伝承のある「頤神室(いしんしつ)」は現在でも慈照院に伝えられています。茶室の窓は、宗旦狐が慌てて突き破って逃げたあとを修理したので、普通のお茶室より大きくなってしまったとのことです。

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宗旦狐は店先から油揚げを盗み、追いかけられ井戸に落ちて死んだとも、猟師に撃たれて命を落としたとも伝えられています。

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化けていたずらをするだけでなく、人々に禅を施し喜ばせていたという宗旦狐の死を悼み、雲水たちは祠をつくり供養しました。それが今でもこの宗旦稲荷として残っているのだそうです。

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