玉造の花仙山が産んだ出雲石に出会う~初夏出雲行(28)←(承前)




もう、これでもかというカンカン照りの中、佐太神社へと到着しました。
時刻は11:00前。

珍しく黄色い欄干の祓橋です。
もしかしたら、朱色の赤が太陽光で消えてしまい、黄色の成分だけ残っているのかも知れませんけれど。

それを渡ると、左手前は手水社(ちょうずしゃ)。
1786年、松江城下の水害を防ぐため宍道湖と日本海をつなぐ人工運河の佐陀川を開削する際、松江藩士の清原太兵衛が、佐太神社の神池である身澄池(みすみがいけ)を切り開くに当たり、神威をおもんばかって神社に寄進したもの、とのこと。

コトバンク/佐陀川

中央手前は、随神門。
その向こうに並んで建つ三殿が本殿。

佐太神社の本殿は、正面をほぼ東北東の方向へ向けて、大社造の三殿を横に並べ建てられており、中央が正中殿、向かって右が北殿、左が南殿となります。


これら本殿の祭神を、佐太神社ホームページ/御祭神から、引用させて頂きます。


御本殿
────────────────────────────────────────
正中殿(せいちゅうでん)i佐太大神(さだのおおかみ)=猿田毘古大神(さるたひこおおかみ) 
・・・・・・・・・・・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
・・・・・・・・・・・伊弉冉尊(いざなみのみこと)
・・・・・・・・・・・事解男命(ことさかおのみこと)
・・・・・・・・・・・速玉之男命(はやたまのおのみこと)

北殿(ほくでん)・・・・i天照大神(あまてらすおおかみ)
・・・・・・・・・・・瓊々杵尊(ににぎのみこと)

南殿(なんでん)・・・・i素盞嗚尊(すさのをのみこと)
・・・・・・・・・・・秘説四座(ひせつよんざ)


この配置を一般的に見れば、向って右が左より上位ということになりますから、右の北殿アマテラスが左の南殿スサノオより上位、となります。

しかし、出雲的にはそれと正反対に、向って左が右より上位ということですから、左の南殿スサノオが右の北殿アマテラスより上位、となります。

ということで、この本殿における北殿アマテラスと南殿スサノオの配置は、一般と出雲の両方を満足させていますから、なかなか素晴らしいアイデアかと思います。

その上で、少なくとも当地での最高神は、正中殿のサダノオオカミだという主張も明確で、見事なほどにスッキリと爽やかです。




何となく、瑞垣の門が閉まったままで「?」な気分です。
先行していた2人が歩みを止めて、こちらを振り返りました。


佐太神社について、はじめに/歴史的混沌-祭神の多重性~初夏出雲行(2)から再録します。

───────────────────────────
佐太神社
佐太神社ホームページ
Wikipedia/佐太神社
出雲國神仏霊場公式ホームページ/佐太神社

主祭神:佐太大神(さだのおおかみ)

ホームページの御由緒2によれば、
主祭神である佐太大神の「サダ」とは伊予國の佐田岬、大隅半島の佐多岬等の地名にみられる岬の意味で島根半島一円、いわゆる『狭田国(さだのくに)』の祖神であり、出雲國における最も尊く、古い大神のうちの一柱であります

その上、Wikipediaでは、
明治維新時に神祇官の命を受けた松江藩神祠懸により、平田篤胤の『古史伝』の説に従って祭神を猿田彦命と明示するように指示されたが、神社側はそれを拒んだ

ということで、佐太神社の主祭神は記紀神話に侵されることなく、祖神の名前を守り切っています。
スゴイですね。
ただ、現在はサルタヒコとの習合を受け入れているようですが。
───────────────────────────


さらに、佐太大神について御由緒2にはこうあります。

佐太大神の御誕生秘話は出國風土記に見え、当社から約10キロばかり離れた日本海に面するかか加賀の潜戸(かかのくけど 松江市島根町)と呼ばれる神埼の窟(いわや)に金の弓矢を射ってお生まれになりました。そして、その窟が光り輝いたので「加賀(かか)」と呼ばれるようになったと記されています。母神は支佐加比賣命(きさがいひめのみこと)で加賀神社に御祀されています

水の都松江/島根町観光ナビ/加賀の新潜戸

つまり佐太大神とは、現代に至るまで記紀神話と習合することのなかった正真正銘の地主神である、ということです。

しかしながら近ごろは妥協して、サルタヒコと同一神ということにされてしまっていますから残念ですけれど。
できれば生粋の地主神を習合なく昂然と正中に祀り、その両翼にスサノオとアマテラスを配すという威風堂々たる元のお姿に、戻して頂けたらと思います。




何やら「?」な気分の原因は、御本殿が修造中だったことでした~(泣)

行きがけには気付かなかった看板ですけれど、「正中殿ほか2棟保存修理工事」とあります。
この「ほか2棟」とは、北殿と南殿のことかと思われます。




正中殿、修造中。
瑞垣の格子へレンズを挟み、拝見しました。

木材が部分的に新しく嵌め替えられています。




左が南殿、右が正中殿。




南殿の横から正中殿の方を望みます。




そして、これが御仮殿。
正中殿、北殿、南殿の神さまが大集合しておられるようでした(笑)

向かって右の奥は、南末社。

北末社は修造中だったかどうか分かりませんでしたが、北殿の前から工事用のフェンスが立てられており回り込めなかっため、行けずじまいでした。


摂末社など
────────────────────────────────────────
早人(はやと)社(北殿・南殿末社)////早人神(はやとしん)
母儀人基社(はぎのひともとしゃ)////伊弉冉尊(いざなみのみこと)
田中(たなか)社 東社 (北殿摂社)/////磐長姫命(いわながひめのみこと)
田中(たなか)社 西社 (北殿摂社)/////木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
隨神(ずいじん)社 南社 ・・//天忍日命(あめのおしひのみこと)
隨神(ずいじん)社 北社 ・・・・//大来目命(おおくめのみこと)

北末社
────────────────────────────────────────
山王(さんのう)社・・・・・・//大己貴命(おおなむちのみこと)
宇智(うち)社・・・・・・・//天児屋根命(あめのこやねのみこと) 
玉御前(たまのみまえ)社・・・//玉屋命(たまやのみこと)
竹生島(ちくぶしま)社・・・・・//竹生島(ちくぶしま)神=稲倉魂命(うがのみたまのみこと)

南末社
────────────────────────────────────────
戸立(とだて)社・・・・・・・//手力雄命(たぢからおのみこと)
振鉾(ふりほこ)社・・・・・・//天鈿女命(あめのうづめのみこと) 
垂水(たるみ)社・・・・・・・//岡象女命(みづはのめみこと)
天神(てんじん)社・・・・・・//菅原道真(すがわらのみちざね)

その他
────────────────────────────────────────
岡見八幡宮/橘稲荷社/客社/宇多紀社




御仮殿の拝所。

せっかく伺ったのに少し残念な気持ちもありましたけれど、逆に、神さまが御本殿へ坐すよりギュッと凝縮して目の前におられると思えば、それはそれで有り難くもありました。




神さまがお留守中の本殿。




本殿前から随神門を見ます。
陽光が眩しいながら、真夏ではない梅雨前の初夏ですから爽やかです。




「佐太神社(さだじんじゃ)・佐太前遺跡(さだまえいせき)」の説明看板。

佐太神社は天平5(733)年に作られた『出雲国風土記』では、佐太御子社(さだみこのやしろ)」とみえます。国引き神話に見える「佐田(さだ)の国」の祭神佐太大神を祀った神社であったと考えられます。3殿が並立する本殿は国の重要文化財に指定されています。
また、この一帯の地下にある佐太前遺跡は、付近の拠点集落と目されている遺跡で、弥生時代前期からの成立が知られます。歴史民俗資料館建設前の調査では、弥生時代後期を中心に多数の遺構と膨大な遺物がみつかっており、付近の弥生時代の拠点集落と考えられます




「佐太神社 御由緒」看板。




そうして境内を出ると、境外の北殿摂社である田中社へ徒歩で向かいます。

実はこの時、境内南側の三笠山(みかさやま)へ石段を登って行く途中に母儀人基社(はぎのひともとしゃ)という磐境(いわさか)のあることを知りませんでした~(泣)




佐太神社ホームページ/摂末社など
古代祭祀の対象であり、社殿創建以前の御神座ではないかと思われます
とのことで、行けなかったことはまことに残念です。

佐太神社ホームページには色々と詳しい説明があるので助かりますが、とても分かりにくい多層構造になっていますから要注意です(苦笑)




石の鳥居と社号標。

社号は「佐陁大社」となっており、これは延喜式(九条家本)に拠るもののようです。
佐太神社ホームページ/御由緒

田中社はここから歩いてすぐ近くとなります。




田中社の西社。

御祭神木花開耶姫命
田中神社西社
御利益縁結
・・・安産

この後ろに背を合わせて建つのが、田中社の東社となりますが、その御利益に注目です…




田中社の東社。

御祭神磐長姫命
田中神社東社
御利益縁切
延命長寿

驚くことに、「縁結」と「縁切」の御利益が表裏一対となっているのが、この田中社です。
何とも、ちょっとコワイ気がしますけれど。(^_^;

コノハナノサクヤビメとイワナガヒメの神話を、そのまま社殿と御利益に現しています。

Wikipedia/バナナ型神話/日本神話
降臨した天孫ニニギに対し、国津神であるオオヤマツミが娘のイワナガヒメ(姉)とコノハナノサクヤビメ(妹)の姉妹を嫁がせる。しかしニニギは醜いイワナガヒメを帰してしまい、美しいコノハナノサクヤビメとのみ結婚してしまう。コノハナノサクヤビメは天孫の繁栄の象徴として、イワナガヒメは天孫の長寿の象徴として嫁いだものであったが、イワナガヒメが送り帰されたために天孫(天皇)は短命になったのである




もう一度、縁結の西社。
縁切の東社で締めくくるのもどうかな、と思いましたので(苦笑)


そこで次は松江市街に戻り、神代(かみよ)そばで昼休憩を取ってから、賣布神社へと向かいます。



(つづく)




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村崎一徳による神社、お寺、お城などの写真や風景写真など旅行写真まとめ

島根半島の祖神を今に伝える佐太神社~初夏出雲行(29)

2015.12.21

島根半島の祖神を今に伝える佐太神社~初夏出雲行(29) はコメントを受け付けていません。





もう、これでもかというカンカン照りの中、佐太神社へと到着しました。
時刻は11:00前。

珍しく黄色い欄干の祓橋です。
もしかしたら、朱色の赤が太陽光で消えてしまい、黄色の成分だけ残っているのかも知れませんけれど。

それを渡ると、左手前は手水社(ちょうずしゃ)。
1786年、松江城下の水害を防ぐため宍道湖と日本海をつなぐ人工運河の佐陀川を開削する際、松江藩士の清原太兵衛が、佐太神社の神池である身澄池(みすみがいけ)を切り開くに当たり、神威をおもんばかって神社に寄進したもの、とのこと。


中央手前は、随神門。
その向こうに並んで建つ三殿が本殿。

佐太神社の本殿は、正面をほぼ東北東の方向へ向けて、大社造の三殿を横に並べ建てられており、中央が正中殿、向かって右が北殿、左が南殿となります。


これら本殿の祭神を、佐太神社ホームページ/御祭神から、引用させて頂きます。


御本殿
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正中殿(せいちゅうでん)i佐太大神(さだのおおかみ)=猿田毘古大神(さるたひこおおかみ) 
・・・・・・・・・・・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
・・・・・・・・・・・伊弉冉尊(いざなみのみこと)
・・・・・・・・・・・事解男命(ことさかおのみこと)
・・・・・・・・・・・速玉之男命(はやたまのおのみこと)

北殿(ほくでん)・・・・i天照大神(あまてらすおおかみ)
・・・・・・・・・・・瓊々杵尊(ににぎのみこと)

南殿(なんでん)・・・・i素盞嗚尊(すさのをのみこと)
・・・・・・・・・・・秘説四座(ひせつよんざ)


この配置を一般的に見れば、向って右が左より上位ということになりますから、右の北殿アマテラスが左の南殿スサノオより上位、となります。

しかし、出雲的にはそれと正反対に、向って左が右より上位ということですから、左の南殿スサノオが右の北殿アマテラスより上位、となります。

ということで、この本殿における北殿アマテラスと南殿スサノオの配置は、一般と出雲の両方を満足させていますから、なかなか素晴らしいアイデアかと思います。

その上で、少なくとも当地での最高神は、正中殿のサダノオオカミだという主張も明確で、見事なほどにスッキリと爽やかです。




何となく、瑞垣の門が閉まったままで「?」な気分です。
先行していた2人が歩みを止めて、こちらを振り返りました。


佐太神社について、はじめに/歴史的混沌-祭神の多重性~初夏出雲行(2)から再録します。

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佐太神社
佐太神社ホームページ
Wikipedia/佐太神社
出雲國神仏霊場公式ホームページ/佐太神社

主祭神:佐太大神(さだのおおかみ)

ホームページの御由緒2によれば、
主祭神である佐太大神の「サダ」とは伊予國の佐田岬、大隅半島の佐多岬等の地名にみられる岬の意味で島根半島一円、いわゆる『狭田国(さだのくに)』の祖神であり、出雲國における最も尊く、古い大神のうちの一柱であります

その上、Wikipediaでは、
明治維新時に神祇官の命を受けた松江藩神祠懸により、平田篤胤の『古史伝』の説に従って祭神を猿田彦命と明示するように指示されたが、神社側はそれを拒んだ

ということで、佐太神社の主祭神は記紀神話に侵されることなく、祖神の名前を守り切っています。
スゴイですね。
ただ、現在はサルタヒコとの習合を受け入れているようですが。
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さらに、佐太大神について御由緒2にはこうあります。

佐太大神の御誕生秘話は出國風土記に見え、当社から約10キロばかり離れた日本海に面するかか加賀の潜戸(かかのくけど 松江市島根町)と呼ばれる神埼の窟(いわや)に金の弓矢を射ってお生まれになりました。そして、その窟が光り輝いたので「加賀(かか)」と呼ばれるようになったと記されています。母神は支佐加比賣命(きさがいひめのみこと)で加賀神社に御祀されています


つまり佐太大神とは、現代に至るまで記紀神話と習合することのなかった正真正銘の地主神である、ということです。

しかしながら近ごろは妥協して、サルタヒコと同一神ということにされてしまっていますから残念ですけれど。
できれば生粋の地主神を習合なく昂然と正中に祀り、その両翼にスサノオとアマテラスを配すという威風堂々たる元のお姿に、戻して頂けたらと思います。




何やら「?」な気分の原因は、御本殿が修造中だったことでした~(泣)

行きがけには気付かなかった看板ですけれど、「正中殿ほか2棟保存修理工事」とあります。
この「ほか2棟」とは、北殿と南殿のことかと思われます。




正中殿、修造中。
瑞垣の格子へレンズを挟み、拝見しました。

木材が部分的に新しく嵌め替えられています。




左が南殿、右が正中殿。




南殿の横から正中殿の方を望みます。




そして、これが御仮殿。
正中殿、北殿、南殿の神さまが大集合しておられるようでした(笑)

向かって右の奥は、南末社。

北末社は修造中だったかどうか分かりませんでしたが、北殿の前から工事用のフェンスが立てられており回り込めなかっため、行けずじまいでした。


摂末社など
────────────────────────────────────────
早人(はやと)社(北殿・南殿末社)////早人神(はやとしん)
母儀人基社(はぎのひともとしゃ)////伊弉冉尊(いざなみのみこと)
田中(たなか)社 東社 (北殿摂社)/////磐長姫命(いわながひめのみこと)
田中(たなか)社 西社 (北殿摂社)/////木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
隨神(ずいじん)社 南社 ・・//天忍日命(あめのおしひのみこと)
隨神(ずいじん)社 北社 ・・・・//大来目命(おおくめのみこと)

北末社
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山王(さんのう)社・・・・・・//大己貴命(おおなむちのみこと)
宇智(うち)社・・・・・・・//天児屋根命(あめのこやねのみこと) 
玉御前(たまのみまえ)社・・・//玉屋命(たまやのみこと)
竹生島(ちくぶしま)社・・・・・//竹生島(ちくぶしま)神=稲倉魂命(うがのみたまのみこと)

南末社
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戸立(とだて)社・・・・・・・//手力雄命(たぢからおのみこと)
振鉾(ふりほこ)社・・・・・・//天鈿女命(あめのうづめのみこと) 
垂水(たるみ)社・・・・・・・//岡象女命(みづはのめみこと)
天神(てんじん)社・・・・・・//菅原道真(すがわらのみちざね)

その他
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岡見八幡宮/橘稲荷社/客社/宇多紀社




御仮殿の拝所。

せっかく伺ったのに少し残念な気持ちもありましたけれど、逆に、神さまが御本殿へ坐すよりギュッと凝縮して目の前におられると思えば、それはそれで有り難くもありました。




神さまがお留守中の本殿。




本殿前から随神門を見ます。
陽光が眩しいながら、真夏ではない梅雨前の初夏ですから爽やかです。




「佐太神社(さだじんじゃ)・佐太前遺跡(さだまえいせき)」の説明看板。

佐太神社は天平5(733)年に作られた『出雲国風土記』では、佐太御子社(さだみこのやしろ)」とみえます。国引き神話に見える「佐田(さだ)の国」の祭神佐太大神を祀った神社であったと考えられます。3殿が並立する本殿は国の重要文化財に指定されています。
また、この一帯の地下にある佐太前遺跡は、付近の拠点集落と目されている遺跡で、弥生時代前期からの成立が知られます。歴史民俗資料館建設前の調査では、弥生時代後期を中心に多数の遺構と膨大な遺物がみつかっており、付近の弥生時代の拠点集落と考えられます




「佐太神社 御由緒」看板。




そうして境内を出ると、境外の北殿摂社である田中社へ徒歩で向かいます。

実はこの時、境内南側の三笠山(みかさやま)へ石段を登って行く途中に母儀人基社(はぎのひともとしゃ)という磐境(いわさか)のあることを知りませんでした~(泣)




古代祭祀の対象であり、社殿創建以前の御神座ではないかと思われます
とのことで、行けなかったことはまことに残念です。

佐太神社ホームページには色々と詳しい説明があるので助かりますが、とても分かりにくい多層構造になっていますから要注意です(苦笑)




石の鳥居と社号標。

社号は「佐陁大社」となっており、これは延喜式(九条家本)に拠るもののようです。

田中社はここから歩いてすぐ近くとなります。




田中社の西社。

御祭神木花開耶姫命
田中神社西社
御利益縁結
・・・安産

この後ろに背を合わせて建つのが、田中社の東社となりますが、その御利益に注目です…




田中社の東社。

御祭神磐長姫命
田中神社東社
御利益縁切
延命長寿

驚くことに、「縁結」と「縁切」の御利益が表裏一対となっているのが、この田中社です。
何とも、ちょっとコワイ気がしますけれど。(^_^;

コノハナノサクヤビメとイワナガヒメの神話を、そのまま社殿と御利益に現しています。

降臨した天孫ニニギに対し、国津神であるオオヤマツミが娘のイワナガヒメ(姉)とコノハナノサクヤビメ(妹)の姉妹を嫁がせる。しかしニニギは醜いイワナガヒメを帰してしまい、美しいコノハナノサクヤビメとのみ結婚してしまう。コノハナノサクヤビメは天孫の繁栄の象徴として、イワナガヒメは天孫の長寿の象徴として嫁いだものであったが、イワナガヒメが送り帰されたために天孫(天皇)は短命になったのである




もう一度、縁結の西社。
縁切の東社で締めくくるのもどうかな、と思いましたので(苦笑)


そこで次は松江市街に戻り、神代(かみよ)そばで昼休憩を取ってから、賣布神社へと向かいます。



(つづく)




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北は北海道から南は沖縄まで色んな観光地を訪ねながら、風景や建造物の写真を紹介中です。主に関東圏をまわっていますが、お金と時間に余裕がある時は気合い入れて遠出しています。 これまで行った場所は・・・
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わたくし村崎一徳は他にもどんどん行く予定です。
ただ、全部は回れないので、他の旅人さんの情報をまとめたこのサイトを作る事で全国を旅した気分になれるようなそんなまとめサイトを目指したいと思います。決して著作権を侵害する目邸ではありません。 できえば他のブロガーさんや旅人が足を運ばないような、あまり知られていないマイナーな場所にも足を運びたいと考えています。
個人的に今興味があるのは戦前、戦中の数少ない遺跡などが見たいと思います。そういうスポットでおすすめとろこなんていうのがあれば情報交換とかもしたいですね。そういう意味でもコメントなども随時受け付けています。村崎一徳と一緒に地方のマイナーなスポットを盛り上げましょうww
よろしくお願いします。

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