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武蔵野の紅葉―平林寺境内林

2015.12.19

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旅行日:平成27年12月10日
 この日は立川にてフィズさん,司さんとの忘年会。せっかく武蔵野に行くのならと,昼間には司さんと埼玉県新座市の平林寺を訪れました。以前から気になっていた紅葉の名所です。

 待ち合わせはJR武蔵野線の新座駅。
 私の家からだと登戸から府中本町を回るのが早そうでしたが,池袋に出て東上線の準急電車に乗車。
 準急は板橋区の成増までノンストップで,建て込んだ街中を駆け抜けます。埼玉県に入り,地下鉄接続の和光市を過ぎると,右に大きくカーブして朝霞。そして,次が朝霞台。この駅で下車すると,目の前に武蔵野線の北朝霞駅があります。

 遠くの山々を望む高架線を武蔵野線の電車で快走すれば,次が新座駅。駅前でバス路線などをチェックするうち,司さんも到着。
 目指す平林寺は駅から3キロほどの距離。まずは川越街道の国道254号を東へ。郊外型の大型店舗が並び,クルマは渋滞気味。
 1キロ半ほどで道路と直交する細長い公園に行き当たり,ここを右折。野火止用水の跡です。
 次の信号を折れれば,左右に雑木林。タヌキの飛び出しに注意を促す道路標識が立っていました。右側は平林寺の境内林ですが,門は遥か先。境内林の柵に添うように市役所前の十字路を折れ,南へ南へ。

 ようやく門が近づいてきたところですが,まずは昼食。今年は「ごはんが食べれない」という事態が幾度かあったため,その反省を踏まえて,昼食を最優先にして組み入れました。
 選んだ店は「手のべうどん たけ山」。武蔵野といえばうどんという安易な理由で決めた店でしたが,12時を回ったところで15組待ち。ただ,席数が多く,回転は悪くなかったです。
 註文したのは鴨南蛮。カモ肉の他,焼いた深谷ネギが載っていました。うどんはコシがありました。
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 食後はまず門前の睡足軒の森を散策。睡足軒は茶室で,道路を隔ててはいますが,平林寺の一部なのだそうです。
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 きれいに見えるよ紅葉も,近くで見るとややくすみ気味。もう一週間程度早い方が良かったかも。
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 遠景で色とりどり。
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 新座市の中心部はかつての川越街道大和田宿。板橋宿で中仙道から分岐し,上板橋,下練馬,白子(和光市),膝折(朝霞市),大和田,大井(ふじみ野市)を経て川越に到る街道の宿場町でした。
 そもそも新座郡は『続日本紀』の天平宝字2年(764)の項に見える新羅郡が初見で,同書は新羅国からの帰化僧らが入植して新郡を設置したことを伝えています。新羅郡は新座郡に転訛し,平安時代に編纂された『和名類聚抄』は新座に「爾比久良」の訓を振っており,この時代には「にひくら郡」であったことが判ります。しかし,江戸時代になると「座の字をくらと訓すること世の人耳なれさるにより,後には土人おしなべて新倉と書すに至」り,「にゐくら」,「にゐざ」,「しんざ」という読み方が入り乱れ,享和3年(1803)に「にゐざ」に定められたと,『新編武蔵国風土記稿』(江戸後期編纂)は書き記しています。

 さて,いよいよ本題の平林寺へ。拝観料は500円。拝観料を取るお寺は,関東では鎌倉を除いては珍しいのではないでしょうか。
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 平林寺は永和元年(1375)創建の臨済宗のお寺。開基は岩槻城主で太田道灌の父でもある太田道真とされ,当初は埼玉郡平林寺村(さいたま市岩槻区)にありました。松平信綱の命によって新座郡のこの地に移ったのは寛文3年(1663)のこと。
 境内には由緒あり気な建物が多いのですが,いかんせん人が多い…。写り込みが避けられないので,今回は建築関係は少な目でまいります。
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 作庭に際してどこかから運んできたであろう大きな岩。緑色濃い下草とともに赤を引き立てます。
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 本堂などが建つ林泉境内は修行の場でもあるため,立ち入り禁止。そこから北の方へ進むと,この先立ち入り禁止の看板。あまり入れる場所は広くないのかな…?
 紅葉の後ろにカキ。
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 柑橘類。鳥に負けずに沢山の実をつけています。
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 井戸を発見。
さ「アレって,トトロを観て憧れませんでした?」
つ「うちにあったよ」
さ「えっ…」
 それよりも武蔵野の井戸といえば,堀兼(=掘り難い)の井やまいまいず井戸に代表されるように,深井戸です。ここは武蔵野台地の縁辺部で地下水面まで浅いのでしょうか。
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 庫裡の一劃に光が射し込んでいるのが良かったのですが,イマイチな出来に。
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 入れないところの紅葉・黄葉がきれいに見えてしまいます。普段は横着してオートフォーカス頼り(露出はマニュアル)ですが,司さんの影響もあって,今回ばかりはピント合わせもマニュアルに。
 …格子抜けはもう少し絞りましょう。
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 茅葺屋根の総門を後ろから。
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 庫裡の脇から人々が出てくるので,何処かに入り口がある筈。と,伽藍の南側に進むと,境内林の奥に続く道がありました。
 池にモミジが浮かんでいるところが撮りたいと水辺に近づくと,浮かんでいるのは茶色い葉ばかりで想像とは違う光景。ただ,寄り集まってきたコイは色鮮やかでした。
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 黄葉と常緑樹。
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 境内を流れる野火止用水。
 野火止用水は江戸時代初期,時の川越藩主松平信綱の命によって造られました。水は多摩郡小川村(小平市)で玉川上水の水を3分分けていて,幕府の老中でもあった信綱の力を窺わせます。なお,『新編武蔵』では一貫して「多磨川分水」と記されており,野火止用水と呼ばれるようになったのは後の時代のことのようです。
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 水路の先には信綱一族や家臣の墓地があり,その脇を進めば,境内林はさらに広がりを見せます。
 きょうは曇っていますが,光のよく入る明るい林です。
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 大和田宿は町村制で新座郡(のちに北足立郡)大和田町となりました。郡内で町制を敷いたのは大和田町と志木町だけでした。
 当時は川越街道による物資の集散地として,また平林寺の門前町として栄えましたが,鉄道のルートから外れました。
 川越街道に沿って敷設することを目指した東上鉄道(東武鉄道)は国に提出した免許申請書の添え状に,停車場設置予定の大和田町は「近郷ヨリ出入旅客多キ便宜ノ地ニシテ,貨物ノ聚散頗ル繁ナリ」,「巨刹平林寺」の大祭には「各地ヨリ群衆ス」,「近郷需要品ハ本町ヨリスルモノニシテ,尤モ繁盛ノ地」など大きなことが記されていました。しかし,旧郡内(この時点では既に北足立郡)で双璧をなす志木町との熱烈な誘致合戦を展開したのちに敗れ,膝折(朝霞)の手前で大きくカーブして志木を経由するルートが採用されました。そのため,大和田はJR武蔵野線が通るまでは鉄道からは見放されることになりました。
 その後,大和田町は昭和の大合併で隣の片山村と合併しますが,この際に以前の郡名にちなんで新座町を名乗りました。順当に鉄道が通り,(武蔵)大和田駅が設けられていたのなら,埼玉県大和田市になっていたのかも知れません。
 そんな新座市の悲哀を感じるため,今朝は遠回りして東上線で来たのです。


 林の中にこんもりした小山を発見。「野火止塚」というのだそうです。
 野火止塚は宏大な平野の野火を見張るものと考えられていますが,それにしては低いです。相模野のように一面ススキの原だったら見通しも利きそうですが,これでは樹林の高さにも及びません。
 また,古くから在原業平と関連があると言われており,野火止という地名も『伊勢物語』第十二段「盗人」と関連があるとされます。境内林の奥には「在原塚」というのもあるそうですが,そこまでは行かず。
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 径から岐かれる細道は伽藍まで戻る近道。人通りが少なく,写真を撮るのに好ましい場所でした。
 ところで,ずっと平らな所を歩いてきたつもりでしたが,この道は下っています。
 地形図を見ると,境内の奥部には標高45メートルを示す等高線の補助曲線が描かれており,周囲よりも5メートルほど高まっているのが判ります。そのことを考えると,低く見えた野火止塚も近くの樹木さえなければ案外遠くまで見渡せるかもしれません。
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 しばらくすると,直進方向に柵があり,その先は立ち入り禁止。ササの茂る中に細い道が続いていました。あとで外から窺うと,梅林などが見えました。寺のパンフレットにウメの見頃が記されているので,時季になると開放されるかもしれません。
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 緩やかな坂を下ると先ほどの庫裡の脇に戻り,境内林の入れる範囲の一巡を完了。
 一時間半弱の散策で,見応え,歩きごたえも充分。境内林の管理に手間も掛かるでしょうから,500円の拝観料は充分価値があるように私は感じました。これだけの自然が残っているのも,東上線が志木を通ってくれたお蔭です。
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 このあとは往き同じ道を新座駅へと歩き,西国分寺乗り換えで立川へ。週末の繁華な街は人々がひしめき合っていて,どこも混雑。歩いてくたびれたので,映画館の入り口のようなところでコーヒーブレイク。
 フィズさんと合流し,予約しておいてくれた感じの好い店で忘年会となったのでした。

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個人的に今興味があるのは戦前、戦中の数少ない遺跡などが見たいと思います。そういうスポットでおすすめとろこなんていうのがあれば情報交換とかもしたいですね。そういう意味でもコメントなども随時受け付けています。村崎一徳と一緒に地方のマイナーなスポットを盛り上げましょうww
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