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宝筐院 2015秋

2015.12.01

宝筐院 2015秋 はコメントを受け付けていません。

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

清凉寺の仁王門を出ると、西の方に宝筐院が見えます。

「宝筐院」は臨済宗の単立寺院で、庭園内には多くのモミジやドウダンツツジがあって紅葉の名所として知られています。ただし、今年は紅葉が色づきが遅く、まだ見頃とはいえない状態でした。

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宝筐院は、平安時代に白河天皇(1053~1129)の勅願寺として建てられました。勅願寺とは、勅願によって鎮護国家・玉体安穏のために建立された寺です。(散策路が真っすぐ西に延びています。)

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建立当時は「善入寺(ぜんにゅうじ)」という寺名でした。平安時代末から鎌倉時代にかけては、数代にわたって皇族が住持となりました。(庫裡の玄関、花の苗を販売していました。)

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南北朝時代の貞和年間(1345~50)に夢窓国師の高弟・黙庵周諭禅師が入寺し、衰退していた寺を復興しました。門弟の教化を盛んに行い、以後は臨済宗の寺となりました。

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室町幕府の二代将軍足利義詮(よしあきら)は、貞治4年(1365)に母の法要の席で黙庵から経典の講義を聞き、参禅問答したことを契機に黙庵に帰依しました。(本堂)

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本尊の十一面千手観世音菩薩立像を安置しています。

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義詮は、師のために善入寺の伽藍整備に力を入れ、東から西へ総門・山門・仏殿が一直線に建ち、山門・仏殿間の通路をはさんで北に庫裏、南に禅堂が建ち、仏殿の北に方丈、南に寮舎が建ちました。

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貞治5年(1367)に義詮が没すると、善入寺はその菩提寺となりました。そして、八代将軍義政の代になって、義詮の院号の宝筐院にちなみ、寺名が宝筐院と改められました。

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足利幕府の保護もあって、この時期の宝筐院は隆盛をきわめ。備中・周防などには寺領がありました。

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しかしながら、応仁の乱以後は幕府の衰えとともに宝筐院も衰退していきました。寺領も横領されるなど、経済的に困窮したからだそうです。

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江戸時代の宝筐院は天龍寺末寺の小院となり、幕末には廃寺となってしまいました。(通路が何度も枯川と交差し、境内全体が枯山水となっています。)

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ところで、南北朝時代に寺を復興した黙庵は、南朝の武将楠木正行(まさつら)と知り合いで、彼に後事を託されていました。

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正平3年・貞和4年(1348)正月、正行は四条畷の合戦で足利方の高師直の率いる北朝の大軍と戦って討ち死し、黙庵はその首級を生前の約束に従い善入寺に葬りました。

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後に、この話を黙庵から聞いた義詮は、正行の人柄を褒めたたえ、自分もその傍らに葬るよう頼んだといいます。(境内の西端に二人の塚があります。)

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右が楠木正行の首塚とされる五輪石塔、左は足利義詮の三層石塔。敵同士だった二人が並んで葬られています。

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明治24年(1891)京都府知事・北垣国道は、楠木正行の遺跡が人知れず埋もれているのを惜しんで、首塚の由来を記した石碑(欽忠碑)を建てました。(散策路に沿って北に行くと、滝の石組があります。)

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大正5年に、高木龍淵天龍寺管長や神戸の実業家・川崎芳太郎によって、楠木正行ゆかりの遺跡を護るため、宝筐院が再興されました。(本堂の裏)

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旧境内地を買い戻し、新築や古建築の移築によって伽藍を整え、屋根に楠木の家紋・菊水を彫った軒瓦を用いて、楠木正行ゆかりの寺であることを示しました。

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その後、更に茶室が移築され、現本堂が新築されました。(山門の中から)

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