村崎一徳による神社、お寺、お城などの写真や風景写真など旅行写真まとめ

村崎一徳@秋田県鹿角市 大日堂舞楽


こんばんは、村崎一徳です。

私、村崎一徳、秋田県の鹿角市で毎年正月二日に奉納される舞楽で、

大里、小豆沢、長嶺、谷内の四集落から、能衆が集い神社の社前と殿内で

舞楽を奉納している。

養老二年(西暦718年)に元正天皇の勅令により、都から名僧行基が遣わされ、

大日堂が再建された際の落慶の式礼での祭礼の舞楽が起源と言われいます。

それから1300年間、里人によって伝承されてきました。昭和五十一年には、

国指定重要無形文化財に指定され、平成二十一年には、ユネスコ無形文化遺産にも登録されているからすごい!!!

 

大日堂舞楽(鹿角市) 「民俗文化を継ぐ」 (秋田魁新報連載記事より)

以下引用

————————————–

 鹿角市八幡平地域に1300年前より伝わる重要無形民俗文化財である。
八幡平小豆沢(あづきざわ)の「大日霊貫(おおひるめむち)神社」が舞台となる。
大里、小豆沢、長嶺、谷内の四集落の人たちによって継承されてきた舞楽は、
大森町八沢木・波宇志別(はうしわけ)神社の霜月神楽と並び、神事芸能としての
価値が高く評価されている。大日霊貫神社は「大日堂」とも呼ばれる。
そこに奉納する舞楽を地元では「ざいどう」あるいは「ざいど」と呼ぶ。
少しなまると「じぇどう」になる。その語源は斎燈(紫燈)ともいわれる。

 

 地元に残る「だんぶり(蜻蛉・とんぼ)長者」伝説によると、この舞楽は
大日堂が養老二年(718)に再建された時に、都からきた楽人によって伝えられという。
千三百年近くも伝承されてきたとされ、県内では最も古い歴史をもつ舞楽である。

 

 一月二日、午前八時前、境内に太鼓と笛の音が近づいてくる。まず小豆沢、
大里の能衆(舞楽を努める人)たちが境内に姿を現す。五本骨扇に日の丸の紋を
染め抜いた藍(あい)染め舞楽装束に身を固め、脚絆(きゃはん)を着けて
わらぐつをはいている。間もなく長峰、谷内の能衆たちも笛と太鼓に合わせてやってくる。
四つの集落がそろったところで、神主のお払いを受け地蔵舞を舞い始める。舞楽の前奏曲である。

 

 能衆は全員そろって境内を三周し、大日堂の拝殿(お堂)前に整列する。
そして花舞を舞った。右手の鈴を振り鳴らして踊る神子(みこ)舞、
「地の神」を礼拝する神名手(かなて)舞を演じる能衆たちの吐く息が白い。
拝殿の中では小豆沢の青年数十人による籾(もみ)押しが始まった。
これは籾押し(脱穀)の様を表した動きとされる。はちまき姿の若衆が
右手中指に五色の紙をまいて「エンヤラヤーソーランサーエ」と
勇ましい掛け声をかけながら堂内を踊り跳ねて回る。

 

 このころになると、境内は多くの見物者で埋まる。本舞にむけての
緊張感が高まっていく。花舞を終えた能衆たちは各集落の「龍神幡(はた)」と
呼ばれる幟(のぼり)を先頭に、拝殿の縁側を三回回る。そして歓声とともに
勢いよく堂内に駆け込み、籾押しを終えて二階で待ち構えている若衆に
走りながら幡を放り投げる。観衆に人気の高い「旗揚げ」儀式だ。
旗を放るタイミングが少しでも狂うと、若衆が的確に受け取れない。
投げる能衆と受け取る若衆の気持ちがぴったり合い、幡が見事に神社に
奉納されると、観衆から大きな拍手が起こる。本舞とは別に、この「幡揚げ」が
一つのクライマックスになっている。

 

 いよいよ拝殿での舞楽に移る。年末からこの日のために精進潔斎をしてきた
舞人と囃し手たちがさまざまな思いを込めて舞を奉納する。拝殿の広さは
九間四方(約二百七十平方㍍)。その中央には十尺四方(約九平方㍍)の
舞台がある。能衆十九人全員による神子舞、神名手舞が奉納されると本舞に入る。
本舞が始まるのは午前十時頃で、境内内は見物客やカメラマンでひしめき合う。

 

 本舞は7種類ある。舞は集落ごとに分担されており、ほかの集落の人間が
舞うことは許されない。大里が駒(こま)舞、鳥舞、工匠舞の三つ、小豆沢が
権現舞と田楽舞、そして長嶺が鳥遍(うへん)舞、谷内が五大尊舞を担当する。
踊る順序は時代によって変化しているが、現在は権現舞、駒舞、鳥遍舞、鳥舞、
五大尊舞、工匠舞、田楽舞の順に奉納される。七つの舞が奉納されるまで
約二時間を要する。舞人の大部分は大人で、集落ごとに決まりがあり、
世襲であることが多い。しかし、鳥舞(大里)は小学生三人によって踊られる。
化粧をしてかわいい動作で舞う姿には観衆の暖かいまなざしが注がれる。
そのほか、権現舞(小豆沢)の獅子舞の尾を持つのも小学生だ。

 

 大日堂舞楽が奉納される大日霊貫神社は、JR花輪線の八幡平駅から
百㍍足らずの所にある。昭和二十四年の火災で焼失した社殿は三十一年に
完工した。かやぶき屋根ではなくなったが、古来の舞楽を奉納するに
ふさわしい風格を備えている。

 

 杜の周りを杉並木が囲んでいる。境内にはご神木としてあがめられた
「おじ杉」と「おば杉」の2本の巨木が立っていた。伝説では十四世紀に
植えられた杉といわれる。おじ杉は数百年前に枯死したもののおば杉は
寛文六年(1666)と昭和二十四年の社殿の火災の際にも焼け残った。しかし、
木の傷みが激しく、昭和四十一年に切り落とされた。

 

 『大日堂物語』には「おば杉の皮を煎じてのめば中風が治るとかいうので、
明治三十年ごろにはしばしば皮がはぎとられた。」とも記されている。往時には
四十㍍の高さを誇ったおば杉の巨大さは、外周十㍍にも及ぶ切り株から忍ぶことができる。
切り株は現在お堂で覆われている。

 

 大日堂舞楽が奉納されるのは養老礼際の一月二日だが、能衆たちにとっては
その数週間前から準備が始まる。笛、太鼓、舞の稽古とともに大事なのが心身を
清める行である。▽家の周りにしめ縄をはって悪魔が入るのを防ぐ▽他人と火を
分け合わなく自炊する▽妻子と床を別にして朝夕に神を拝む▽不幸や出産があった家に
行かない▽毎朝沐浴して身を清めるなどが義務づけられている。

 

 能衆の大部分が農業で生計を立てていた時代はこうした行もしやすかったが、
いまはほとんどが職場を持っているため、取り組みにくい面もある。職場にいれば
年末には忘年会等さまざまな行事があり、厳密な精進潔斎は難しい。各自精一杯の
努力をしている。能衆に事故があったり、悪いことが起こったりすると
「行をよくしないからだ」といわれる。もしも十分に行ができなかった場合は、
大日堂近くの寺院・吉祥院でふろに入って潔斎したという。また、小豆沢の能衆に
不吉なことがあった時などは「別当(大日堂宮司)さんの所に行ってお茶をいただく」と
いうしきたりも残っている。

 

 小豆沢には「笛吹田(ふえふきだ)」の屋号が残る。かつては神社から田んぼを
分け与えられていたという。そこから「笛吹田」の名がついたものとされる。
「八幡田」「鼓田」などの地名も残っており、舞楽が土地の生活と信仰に
強く結びついていたことが分かる。

 

 大日堂舞楽は小豆沢の笛を合図に始まる。号令の代わりに笛が次の動作を導いていく。
いわば雅楽の進行役である。

 

 大日堂から最も遠いのは谷内である。養老礼祭当日は谷内から大日堂まで約五㌔の
道を歩く。途中の長嶺まで約四十分、永嶺の能衆たちと合流してさらに四十分歩いて
ようやく大日堂に到着する。

 

 谷内は「かづの四十二館」のひとつである谷内館があった由緒ある地名。
十六世紀半ばすぎの永禄年間には谷内観音堂が焼けたという記録も残っている。
その後天正二年に再建されたのが現在の「天照皇御祖神社」だとされる。「神明社」
とも呼ばれるこの神社には、五大尊舞の面を保存する収納庫も供えられている。

 

 谷内地区の舞楽の準備は毎年十二月十六日に始まる。この日、神社に舞手と
笛太鼓の受けも持ちや役員が集まり正月の舞楽奉納について協議する。本番に
そなえてまずは顔合わせといったところだ。これを「お籠もり」と称する。
この日から能衆の家の出入り口にはしめ縄がはられ「行」にはいる。

 

 そして、年の瀬が迫った二十四日夜、能衆たちが再び神明社に集合した。
「御神体」を迎える儀式のためだ。舞楽に使う面などを「御神体」という。
能衆の代表三人が、参道の鳥居のわきにある収蔵庫の前で笛を吹き、中の
御神体を取り出す。御神体を神明社に移して礼拝する。

 

 ほぼ一年ぶりの御神体との対面である。六人の舞手は「神様」になる日が
近付いていることを実感する。
引用ここまで
————————————–

 

 

大雪の中私、村崎一徳、そんな歴史ある大日堂舞楽を見てきました!!!

ただし・・・お正月の時期の秋田県の鹿角市はとてつもなく寒いです。想像を超える寒さですw

屋内で開催されていたのですが、そんな問題じゃない!寒すぎる!!

私、村崎一徳、寒さに弱いですw

いや、寒いというか冷たいwそして冷たすぎて痛いww私、村崎一徳、痛いのも苦手ですw

 

ただ、お祭りは本当に歴史があるお祭りという感じで、

近年悪ノリをしてる若者のような奴もいなく、厳粛に開催されていました。

本当に素晴らしい雰囲気と舞・・・素晴らしい祭りで私、村崎一徳、感動さえしました。

朝8時ごろから正午近くまでの長丁場の民俗文化に私、村崎一徳、また見たいと思いました。ありがとう秋田!

 

 

 

 

 




村崎一徳について
わたくし村崎一徳は、
お寺やお城、神社、昔の住宅、教会、宮殿、寺院、修道院、御所、駅、駅舎、公園、庭園、空港、劇場、劇場・映画館・演芸場・観覧場・公会堂・集会場、ホテル・旅館、工場、下宿・寄宿舎、倉庫、博物館・美術館・図書館などの建造物や工芸品,彫刻,書跡,典籍,古文書,考古資料,歴史資料などの有形の文化財など歴史がある物が大好きなわたくし村崎一徳がデジカメ片手に全国を旅しながら写真を紹介しています。
古く歴史を感じることが大好きなわたくし村崎一徳は奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、戦国時代、江戸時代、幕末、明治時代、大正時代、昭和時代までいろいろな時代のものを散策しています。
北は北海道から南は沖縄まで色んな観光地を訪ねながら、風景や建造物の写真を紹介中です。主に関東圏をまわっていますが、お金と時間に余裕がある時は気合い入れて遠出しています。 これまで行った場所は・・・
函館の夜景、小樽運河、知床五湖、金森赤レンガ倉庫群、五稜郭跡、摩周湖、襟裳岬、札幌時計台、十和田湖、小岩井農場、盛岡、鳴子温泉、角館町 武家屋敷、全国花火競技大会、銀山温泉、川越「時の鐘」、東京ディズニーランド、東京ディズニーシー、靖国神社、秋葉原電気街、新宿御苑、明治神宮、昭和記念公園、三鷹の森ジブリ美術館、浅草寺、浅草周辺、葛西臨海水族園、東京国立博物館、恩賜上野動物園、上野東照宮、山形県最上郡の堺田分水嶺、東京タワー、東京スカイツリー、アメ屋横丁、横須賀三笠公園、戦艦三笠、横浜氷川丸、中華街、元町、上野東照宮、日光東照宮、鎌倉大仏、箱根関所跡、箱根登山鉄道、箱根海賊船、箱根湯本、小田原城、江戸城、小江戸川越、鶴岡八幡宮、鎌倉五山、善光寺、川中島古戦場、松本城、旧中山道、南木曽町、妻籠宿、馬籠宿、松本城、名古屋テレビ塔、東山動植物園、熱海温泉、伊東温泉、富士山、鹿苑寺(金閣寺)、三千院、慈照寺(銀閣寺)、八坂神社、大徳寺、南禅寺、祇園新橋、妻籠宿本陣、馬籠諏訪神社、戦艦陸奥、自由の女神、お台場、熊谷家住宅、建長寺、長谷寺、船の科学館、真如堂、知恩院、鞍馬寺、平安神宮、太秦映画村、清水寺、三十三間堂(蓮華王院)、東福寺、北野天満宮、産寧坂(三年坂)、龍安寺、妙心寺、渡月橋、二条城、京都タワー、教王護国寺(東寺)、伏見稲荷大社、宇治橋、平等院鳳凰堂、東大寺、奈良公園、興福寺、唐招提寺、法隆寺(斑鳩寺)、唐招提寺、原爆ドーム、厳島神社、岡山城、後楽園、瀬戸大橋、萩市、熊本城、本妙寺、細川刑部邸、岩国城、長門峡、関門橋、小倉城、スペースワールド、太宰府天満宮、博多どんたく、吉野ヶ里遺跡、唐津城 (舞鶴公園)、聖フランシスコザビエル記念聖堂、ハウステンボス、オランダ村、黒島天主堂、島原城、平和公園、グラバー園、長崎原爆資料館、浦上天主堂、八千代座、通潤橋、水前寺公園、阿蘇山、阿蘇火山博物館、阿蘇カルデラ、阿蘇大観峰、肥後本妙寺、火の国祭り、頓写会、阿蘇草千里、二の丸公園、別府温泉、湯布院、桜島、西郷隆盛銅像、美ら海水族館、琉球村、首里城公園、ひめゆりの塔、平和記念公園、座間味島、那覇、国際通り、海軍壕、那覇空港、万座岬、ホエールウォッチング・・・などなどです。
わたくし村崎一徳は他にもどんどん行く予定です。
ただ、全部は回れないので、他の旅人さんの情報をまとめたこのサイトを作る事で全国を旅した気分になれるようなそんなまとめサイトを目指したいと思います。決して著作権を侵害する目邸ではありません。 できえば他のブロガーさんや旅人が足を運ばないような、あまり知られていないマイナーな場所にも足を運びたいと考えています。
個人的に今興味があるのは戦前、戦中の数少ない遺跡などが見たいと思います。そういうスポットでおすすめとろこなんていうのがあれば情報交換とかもしたいですね。そういう意味でもコメントなども随時受け付けています。村崎一徳と一緒に地方のマイナーなスポットを盛り上げましょうww
よろしくお願いします。

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

当サイトについて

日本国内の寺院や神社、お城、歴史建造物などの名所巡り、撮り鉄、乗り鉄などの情報ブログなどのまとめサイトです。

当サイトについての詳細

管理人についての詳細

オリジナルカテゴリー

フォト蔵

村崎一徳のコンデジ旅行日記

RSS Feed Widget

Twitter

動画

アクセスランキング